2006/06/23
三河旭土人形 制作者 人形師の高山八郎さん(89歳)が
2012年7月5日、虚血性心疾患のため 亡くなりました
本当に 本当に 残念でなりません
心底土人形を愛された 熟練の人形師の存在は
あまりにも大きく 心にぽっかりと大きな穴があいてしまったような気がしています
あなたが命を吹き込んだ土人形たちは これからもずっと
私の横で その伝統のぬくもりと笑顔と想いを語り続けてくれることでしょう
ありがとうございました
心よりご冥福をお祈り申し上げます
全国どの県と比べても 愛知県ほど土人形の華々しい歴史を飾った県は他にない
名古屋 犬山とともに 三河南部で土人形が大発展した
三州瓦の産地として良質の胎土に恵まれ
歌舞伎 文楽等の芸能が盛んに催された土地柄が
土人形の一大産地としての発展を支えた
江戸の末期に京都伏見の製法と技術を導入して作り始められ
福神・狆・招き猫鯛童子等の縁起物や
歌舞伎などから取材した節句人形が数多く作られた
乙川(半田市)・棚尾・新川・大浜・旭(碧南市)・西尾(西尾市)等があった
組み物の多い事が他に見られない特徴である
各産地も 今は廃絶し 残るは乙川 旭 大浜などである
高山八郎氏の父 高山市太郎氏の作 明治24年ごろ 13〜14才で 当時 乙川から移住して豊橋で土人形を始めた 杉浦幸次郎に師事した 修行を終えてのち 旭土人形の創始者となって 三河土人形制作の多くの弟子を育てた 現在製作されているのは 八郎氏のみである 高山家の作品は 彩色に明るい緑と 朱に近い赤を用い 瞳が特に大きいことである 販路は おもに足助 豊橋 蒲郡方面であった |
製作者 高山八郎氏 (大正11年生まれ) 旭土人形の創始者高山市太郎の四男 昭和30年頃一度廃業されたが 20年ほど前から土人形作りを再開されている 気さくなお人柄で いっぺんでファンになってしまいました お酒も大好きのようで 何でも来いとか! 余りのみ過ぎないように お願いしてきました 愛知に残された土人形の工人は 老いてますます盛んです これからも 新しい命を作り出し続けて行って下さい 2004/09/06 |
2005 訪問記
GW最後の日曜日に高山さんの工房へお邪魔して来ました
自分の主催する歩行会などの記念品にと
招き猫を幾つかお願いしていたので
引取りがてらにお訪ねしました
そこで見つけたものが なんと 「鰐」 !!
こんなものは見たことも聞いた事も無い
これは 近所の子供さんにでも作らせたものかと思いお尋ねした所
「んにゃ わしが作ったんだよ チャンと型も有るぞえ」との仰せ・・
思わず絶句してしまいました(爆)
燕が 工房の中に 居を構え 飛び交っています
雛たちが 土人形を眺め 育っていくのを見守りながらの人形作り
八十三にしてこのバイタリティと好奇心
旭はまさしく旭日の如し
尻尾を巻いて逃げ帰ってきました(笑)
2005 訪問記その2
以前から お話をしていた 饅頭喰い人形を作っていただく事になりました
伏見・佐土原・小幡の各人形を持ち込んで見てもらい
それを元に旭なりの饅頭くいが出来ないかと考えていましたが
伏見や小幡の顔のような線描きの目は描けないと言われ
小幡人形を元にした 高山さん独特の目鼻立ちのはっきりとした人形が出来るのかと
楽しみにしていましたら 出来たとの知らせで
高山さんの工房へ出かけました
旭土人形の高山さんちに着いたら男女ペアの饅頭喰いが出迎えてくれました
まさか女の子まで造っていたとは思わなかったので 自然と顔がほころんでしまいました
我が家では おひなさんの時にこの子達をペアで飾ろうかと早くも計画を立てる羽目に(笑)
大きな饅頭喰いも原型を作りつつあり 以前からお願いしていた 尺猫の猫抱き(笑)も 作ってる途中とのこと 鰐の上に猫も鎮座していて 何とも凄い事になっている旭土人形です 饅頭喰いと猫がいっぺんに出来たら 支払いに困るじゃないですか!! 楽しみと困惑が同居してしまいました(笑) |
お話中に 高山さんに人形作りを習っているというご夫婦が見えて 楽しい会話になりました
もうすでにリタイアされているそうなのですが
時々見る新しい「新・矢作土人形」(?)の作り手の方でした
あごくんが 高山さんのと間違えそうになったぐらいだから
腕のほうはめきめき上達されているようです
あくまでも趣味で とはおっしゃられていましたが
旭と間違って買って行く人もいるような気がします(笑)
黒の絣を着た他では見られない個性的な饅頭くい人形です
もっと派手な衣装でも面白いかとも思いますが味のあるものになり納得です
男の子だけのつもりだったのですが
何故か 女の子の饅頭喰いとセットで出来上がっておりビックリ仰天
髪も女の子らしくおかっぱ頭に変身しています
赤い地に花柄の模様の衣装で 男の子と並んで立っていると色合いが引き立ちます
他に類を見ない組物のようになってしまいましたが
ただ どちらも同じ格好をしているのは致し方有りません(笑)
其処で 持っているお饅頭の色が同じではと思い
饅頭の色を変えてもらうようにお願いして
どっちのお饅頭が美味しいのか比べてもらう事にしました(爆)
八十半ばでの制作意欲は まだまだ衰える事がありません
さらに 大きなものをお願いしたところ
一升瓶程の 大きさの物が出来上がっていて
今後この饅頭喰い人形がどんな事になるのか
楽しみと恐怖が入り混じった複雑な思いが続いております
2006 訪問記
一年以上も前からお願いしてあった
二尺猫が出来ているという事で伺ってきました
昨年の11月ぐらいから何度も電話を入れて連絡を取っていたのですが
まったく繋がらず 如何してしまわれたのか心配していた所
転倒して入院しているとの知らせ
年齢が年齢なので心配していたのですが
年明け一月の半ば過ぎにやっと連絡が取れて
猫も饅頭喰いも出来上がっているとのことで安心しました
なんやかんやで例によって出かけるのが遅くなり
高山さんちへ着いたのが3時 やっと笑顔に出会えました
出来上がった尺猫は 横に2匹が並んだ形になっていました
尺猫がもう一匹を抱えるような感じを予想していたので
予想とは少し違っていましたが 上々の出来上がり
此処のまねき猫の目が好きで 一目ぼれしてからずいぶん経ちますが
最も大きな瞳で 私を見つめてくれる事になりました(嬉)
名前を考えなくてはと
『親子猫』『夫婦猫』『兄弟猫』『友達猫』『親分子分猫』・・・・
色々考えてみましたが 見る人の気持ちで変わる物だからあえて決めないでおきます
取りあえずは 我が家の『夫婦猫』ということにして床の間に鎮座してもらいました
因みに大きい方が 「妻」である事は内緒です(笑)
そしてあごくん注文の饅頭喰いのおっそわけ
(@_@;)まで でかくなっていました(しもぶくれ 爆)
この際だからという事で 高山さんに無理を言って ニスを塗っていただいたら
着物が藍色に変わり いい感じになりました
高山さんは 新しい物を作るのに貪欲な好奇心の塊
幾つになっても子供の心を持ち続けている童の代表のような方です
伝統の土人形はまだまだ 新しい境地を開いて行くような気がします
この二尺猫は その後 滋賀県近江八幡市の
近江八幡YHで 居候をしております
このYHの建物は 文化庁指定の登録有形文化財で、
明治42年築(100年)の歴史的建造物です
その建物の中から 日本中 いや 世界中の旅人を招いて
日本の伝統の良さをアピール中です
大きな連れ猫をお願いして 作って頂いたにもかかわらず
2・3ヶ月に一度づつ伺ううたびに
新作がゴロゴロ しかも二尺猫も一匹2匹と鎮座しています
どんなお方が頼まれているのかと思いつつ
連れ猫も良いけれど シンブルイズベストではないですが
伝統の二尺猫はやはり洗練されてて 素晴しいとあらためて感心する事しかり
結局 渋る妻の横顔を眺めつつ またまた土鈴仕様で頼んでしまいました
こんなデカイのどこに飾るのよと厳しい罵声にも耐えて
我が家の狭い玄関に鎮座する事になってしまいました
ただ オッきいのはこれが最後と釘を刺されてしまったので
当分は ほとぼりが醒めるまで ちんまりしたものでお茶を濁す事に致します(笑)
最近は お手持ちの三河の方では作り飽きたのか
写真から型起こしを依頼されたり
持ち込まれた型での製作も結構多いようです
偶然伺った時にそういった作品があれば
無理を言って分けて頂く事がままあります
これこそ 珍品かもしれませんね〜〜〜
こういう楽しみが在るので 高山さんちへ伺うのは止められません(爆)
例年よりも早く 3月の中頃に
今年も 高山翁の 工房にツバメが戻ってきました
翁、曰く 「昨年のツバメかどうかは 本人に確認をとらなかったら 判らないけれど(笑)」
ツバメのご機嫌伺いに 今年も通いが始まりました
2009 訪問記
今年初めて高山さんに伺ったのは 2月1日
古い土人形の修理を依頼するためです
剥離の激しいものや 汚れてしまったものちょっと欠けたものなど
3点ほどを持ち込んで 直らないかとお願いしました
なんでも器用にこなす高山さん
いいよ好いよと おっしゃってて下るので
つい 甘えてしまって いろんな注文をしてしまいます
でも よくよく考えてみれば
今年御歳87歳 数えで88歳の米寿となられます
そのお年で大きな二尺猫から
新作のものまでまだまだ元気に作られているというのは
まさしく驚異的な鉄人だと思います
年齢的にも 余り細かい彩色や 造りはもう無理かもしれません
我儘を言うのはほどほどにしないと 大きな負担になってしまうので
気をつけないといけないなと 反省しています
老いて益々お元気ではありますが くれぐれも無理をされず
お酒 タバコも控えめに(笑)
まだまだ沢山の土人形を生み出して頂きたいと 念願しています
2011 訪問記
今年の夏(2011)は格別暑く どこが悪いというわけでもないのだが
製作意欲がわかなくて なかなか注文の品を製作できないとのお話です
高齢であり 体力的に土人形の制作がきついとのことです
気候が涼しくなって 過ごしやすくなれば
また作れるようになると思うのだがという事ですので
楽しみは暫く取っておく事にして
昔ながらの型物は なかなか作れなくて
手慰みに 手捻りの作品を思うがままに作られていました
粘土をこねただけで 焼いてないものですが
直接彩色をされています
昔からの組物のや歌舞伎物の制作で
その形や構成が頭の中に入っているのでしょう
手で土を練り上げて見事に仕上がっています
型から抜いたものからは味わえない
手作り感と伝統の形が見事にマッチしています
ただ 問題は 非常に脆くちょっと触っただけで
ぽろぽろと 欠けてしまったりするのがいささか困り物です
やはり焼いてないというのには 問題があるようです
子供の粘土遊びにも見えますが
90年近くも続く泥こねです
そんじょそこらの作り方とは 年季が違います(笑)
ご覧あれ
高山八郎の手捻りショー
清き 饅頭を | 御雛様 |
熊谷と敦盛 | 五条橋 |
2012年訪問記
毎年毎年 お邪魔し続けて10年以上になりました
今年3月に伺った折には まだまだ お元気で笑顔で対応していただきました
実は わし 癌やねん と真顔で話された時には
えっ!と 思ったのですが年が年だから進行もほとんどしないし
今のまんまでええねん と
煙草もお酒もカラオケもされていたみたいで
お話を伺っていても 普段通りで
屈託のない笑顔で対応していただきました
以前からのお願いしているお人形たちも
まだ出来ていないので これからぼちぼち 作るから
新たに ノートに記しておいてとの事で
アレコレと お願いするお人形を記してきました。
まだ当分 燕さんのように 高山さんの工房を出入りできると思っていただけに
訃報を聞いた時には まだ早い!まさかという思いで
言葉がありませんでした
本当に 残念でなりません
心よりご冥福をお祈り申し上げます 合掌
高山さんの人形も 数が沢山集まりました
三河 旭土人形コレクション
ページを新たに作りましたので よかったら覗いてください