2016/07/19

年賀切手になった郷土玩具

日本で 年賀状を元日に配達する年賀郵便特別取扱が始まったのは1899年からで
普通官製はがきや 私製はがき(1900年以降)が使われていましたが
年賀状に使用するための切手や 葉書を発行することはありませんでした
昭和に入り年賀状の取扱いが増大したことから 逓信省(現在の日本郵政)は
当時 大半を占めていた私製年賀葉書利用者のサービスとして 年賀切手を発行することになりました
これは年賀状を 可能な限り早く差し出してもらうことも意図していました
最初の年賀切手は「昭和十一年年賀用切手」で 1935年12月に発行されました
この年賀切手は額面1銭5厘で 渡辺崋山の『富嶽図』に 松竹梅の囲み枠を配したデザインでした
発行枚数は 当時としては大量の3億3163万枚発行されました
年賀切手は翌年も発行されたが 同年に発生した盧溝橋事件をきっかけに日中戦争が勃発し 
日本国内で虚礼廃止運動が起こって 年賀状の差出を控える傾向が顕著になり 
年賀切手はこの年限りで廃止されました
戦後になり 年賀切手が発行されたのは「昭和24年用年賀切手」で1948年にに発行されました
郷土玩具が 切手のデザインに採用されたのは 昭和29年用の『三春駒』からで
途中途切れた事もありますが 現在も続いています

一部の物は 日本土鈴館の遠山館長にご協力いただき
切手 郷土玩具とも 手持ちの物でアップしていますが
所持していない 切手 玩具もあり
掲示していない切手 玩具については 今後入手次第アップしていく予定です
なお 図案になったものでない郷土玩具がアップしてある事もあります
間違い等 ご指摘 ご教授いただければありがたく思います
宜しくお願いします

 

 昭和25年(1950)    とら 円山応挙

 

 昭和26年(1951)    うさぎと少女 

 昭和27年(1952)    おきなの面

   

 昭和28年(1953)


 昭和29年(1954)    三春駒

福島県郡山市高柴産

三春駒とは 元来馬産地として知られた
三春地方産の馬の事で
それを模った木馬で 
土地では きんま と言われています
直線を生かした飾り馬で 
花模様の胸掛けが描かれ
棕櫚のたてがみと尾を付け 
馬産地にふさわしくたくましい姿に作られています
平安時代 坂上田村麿東征のおり 
京都清水寺の高僧が仏像を彫った余材で
鞍馬を刻みはなむけとしましたが 
この地の強敵に苦戦しました
その折 どこからともなく鞍馬が現れ彼を助け
勝利に貢献し姿を消したと云われています
(鞍馬天狗はここから来たのかも知れませんね)
その後 これを模作して木馬を刻み
子供たちに与えたところ
子供たちは 健やかに成長 
疱瘡 麻疹 等の病気も軽くすみ
子供の無い家にも子宝に恵まれたといわれ 
子育て木馬と呼ばれるようになりました

 昭和30年(1955)    八幡起き上り

石川県金沢市 中島めん屋

加賀百万石の城下町で京文化の影響を受けた
繊細で雅な郷土玩具です
旧幕藩時代の下級藩士の手内職として作られました
加賀八幡の祭神 応神天皇の産衣姿に擬えて
作ったものといわれ 顔は磨き出し 
胴は真紅の地に松竹梅の模様を
蒔絵風に描いた典雅なもの
江戸寛政年間(1789〜1801)既に
正月初市に出ていた事が知られています
たんすの中に入れておくと衣裳が増えるともいわれ
誕生祝い 婚礼の祝いに贈られ 
嫁入り道具の一つとしてや
贈答 餞別等に用いられ 
起き上ると云う縁起から
病気見舞いとしても使われています

 昭和31年(1956)     こけし えじこ

主に東北地方が主産地です
ろくろで挽いた木製の人形 
木地師と言われる工人の手で作られる工芸品で
東北地方の温泉地などで土産物として発達し 
子供の人形遊びの相手として親しまれてきました
起源は 東北北部に残る民間信仰のおしら様や
信仰木偶の山中三助に起源する信仰玩具説
幼児のおしゃぶり類など
他の玩具から転化したというおしゃぶり起源説
山村生活の木地師が自家の娘などに
作り与えたとする固有玩具説等があります
伝統こけしには 十系統に別けられていて 
個性が競われています
土湯 弥次郎 遠刈田 鳴子 作並 蔵王高湯 
肘折 木地山 南部 津軽温湯の十系統です
えじこは 東北特有の冬季 農繁期に
幼児を入れて育てる藁籠の事で 
いずめ(飯詰)ともいい 
嬰児籠内の子供を人形化したものです

 昭和32年(1957)    鯨の潮吹き

長崎県長崎市 

長崎市内の諏訪神社の祭礼で引き出される
鯨の潮吹きの山車を玩具化したもの
『鯨のだんじり』といわれて
古くから親しまれてきたものです
7年に一度 市内の魚問屋街 
万屋町から奉納されるもので
長さ5.5m 高さ2m 胴周り4m 
重さ1.8t の大型のもので背中から
ポンプで水を噴き上げる仕掛けになっています
この祭礼は 江戸時代寛永11年
切支丹宗徒に対抗するためにはじめられたと
いわれ 各町内が趣向を凝らして
曳きものを奉納しました
中でもこの鯨だんじりは
発奉納以来の名物となっています
玩具は張り子製で鯨の両方のヒレが揺り動きます 

 昭和33年(1958)    犬張子

東京 江戸張子

室町時代上流階級では 
犬の形をした張り子製の犬筥を
産室に飾る風習がありました
この上下二つになった箱の中にお守り札や
化粧道具などを入れ魔除けとしたものです
この京都産の箱型の物に対して 
犬の立ち姿を写したものが江戸の犬張子で
東犬(あずまいぬ)と呼ばれます 
最初は犬の姿をそのまま映した
写実的なものでしたが
次第に丸みを帯びた愛嬌のある
現在の様な姿に変わりました
その洗練された造形は日本の郷土玩具の中でも
傑作の一つに挙げられます

 昭和34年(1959)    鯛抱き恵比寿

香川県高松市 高松張子

江戸時代寛永年間 常陸国下館より
この地に移封された松平頼重の家臣により
張子細工の技法が伝えられたといわれています 
関西の影響もみられ その技法を取り入れながら
独自の郷土色ある作品を作り上げてきました
この地方では 昔 嫁入の時嫁ぎ先の
近所の子供たちへの手土産として
小さな土人形を持参する風習があり
これを嫁入人形と言いました
鯛戎 福助 天神 大黒 狆 臥牛 
春駒 奉公さん 槌 等 縁起の良い人形で
特に狆鯛が多いのは犬の多産にちなんだものです
この風習は明治末頃頃まで見られましたが 
次第に廃れ現在では見られません
この嫁入人形を張り子にした物です 

 昭和35年(1960)    米喰いねずみ

石川県金沢市  中島めん屋

江戸時代天保年間 前田藩足軽小物の内職として 
当時流行の路線仕掛けを応用して作られたと云う
この地方特産の桐材を廃物利用して 
それを焼いて色も鼠の形に仕上げてある
胴と口とを結ぶ竹ばねを押すと 
首と尾が下がり米を食べる仕草をします
一説によると天保の大飢饉に苦しんだので 
鼠に擬えて米を腹いっぱい食べたいとの
願いを込めて作られたともいわれています 
 

 昭和36年(1961)    赤べこ 金べこ

福島県会津若松市 (赤べこ) 

天正18年伊勢松坂から
この地に転封された蒲生氏郷が
京都より職人を招き
張子の技法を無役の藩士に生活の資として
習得させたのが始まりといわれています
赤塗の首振り牛で 
白の縁どりと黒い斑点が描かれています
この地の伝説により疱瘡よけのまじないや 
子育ての縁起物として作られました
 岩手県花巻市 (金べこ)

この地は昔砂金の産地として知られ 
牛の背に積んで都に運んだそうです
その牛を玩具化したもので
黄金牛ともいわれます
旧南部藩時代 
金鉱の鉱夫の激務を慰めるため生まれた
金山踊りで 
『金のベココに錦の手綱
   おらも引きたや引かせたや』
と歌われ 昭和の初期に創作されました

 昭和37年(1962)    出雲張子の虎

島根県出雲市

この地方では端午の節句に魔除け 
勝負強いと云う事から
虎を飾る風習がありました
土地の名工荒川亀斉が原型を作り 
独特の風格で大きく開いた口に金の牙がのぞき
ピンと伸びた髭や大きな耳が
威容と迫力を見せています
明治10年から4代目の高橋熊市が作り始め
高橋家により製作が続けられています

 昭和38年(1963)    のごみ兎土鈴

佐賀県鹿島市能古見

のごみ人形の創始は初代鈴田照次で 
戦後の殺伐とした世の中に潤いをと考えて
土鈴のデザインをしたのがきっかけだそうです
家業の染色工芸により独特のデザインと彩色で
個性ある土鈴となっています
祐徳稲荷初午に売り出される稲荷駒や
この地方の年中行事に取材した
面浮立等の作品があります 
 

 昭和39年(1964)    福龍と辰

山梨県甲府市 福龍

昔甲府盆地が湖であった頃の
竜神伝説に因んだもので 
竜の落とし子をモチーフに作られた木製品で
戦後創作されました
地中から蛟竜が昇天する姿に出世を象徴し 
竜神招福といわれます
鳥取県岩美町     岩井木彫 十二支辰

二百年ほど前より始められたろくろ細工で
エゴノキを用いて製作されています
幕末より明治中期にかけては主に独楽を製作し 
その後さまざまな新作を創案しました
十二支は 先代が昭和九年頃
作り始められたものです 
動物の各部分を別々にろくろで挽いて
卵型の胴体に接着し彩色してあります
調和のとれた配色で他にはない
ユニークな細工です

 昭和40年(1965)    麦藁蛇

東京都富士神社

旧暦6月1日の富士山開き当日の祭礼で
授与する縁起物
同神社の祭神に因む
神龍を信仰玩具化したもので
大麦の藁を蛇の形に編み
頭部に経木の赤い舌があり 
杉の葉を付けた小枝に
巻きつけた原始的なものです
現存する東京の
古来の郷土玩具として知られています

 昭和41年(1966)    しのび駒

岩手県花巻市

藁馬の胴部に赤 黄 黒 の布帯を巻き
首に鈴をつけたもので
市内の観音に祈願する人が 
人知れず夜間に詣で藁馬を供え 
その願いが叶った時はひそかにこれを取り下げ 
色とりどりの布で飾ったうえで
再びお礼に供えたといわれます
また 農家の若者が馬に笑沓をはかせ 
音を偲ばせ娘のもとに通ったのが
起こりともいわれています 

 昭和42年(1967)    ひつじ

奈良県奈良市 春日大社

毎年その年の干支にちなむ
一刀彫の動物を縁起物として
授与されるものです
全国各地の神社で 
個性的な一刀彫の干支があります

展示の物は 愛知県の津島神社の昭和54年の物です 

 昭和43年(1968)    昇り猿

宮崎県延岡市

赤い顔で鼠色をした体の背に五彩の幣束と太鼓を背負い
赤い褌を垂らしています
竹を曲げた手が棹に通してあり
烏帽子の上端を幟旗に吊るし
風か吹くと幟がふくらんで それにつれて
猿が棹を登る仕掛けです
旧延岡藩主の馬印に 猿を用いたところ
戦場で勝利を得たことから
端午の節句には これを門口に立てる風習があります

 昭和44年(1969)    笹野彫り 雄鶏

山形県米沢市 笹野彫り

笹野観音の縁日に売り出される削りかけの縁起ものです
削りかけの技法は 観音の建立の頃から
伝えられたともいわれていますが
この地の先住民族のアイヌの信仰的な削りかけの遺習が
農民の生活にとけこんだとする説もあり 
郷土玩具として特異な存在でもあります
お鷹ぽっぽ 蘇民将来 鶴亀 鶺鴒等
縁起物が数多くあります

 昭和45年(1970)    守り犬

奈良県奈良市 法華寺守り犬

法華寺は奈良時代光明皇后を開基に
日本総国分尼寺として創建された
女人道場で 正しくは法華滅罪寺といいます
光明皇后が 自ら加持祈祷清浄灰土で 
犬型のお守りを作らせたのが始まりです
粘土に雲母を混ぜて手捻りで形を作り
胡粉を塗った白犬で大中小の3種あり 
大は胴体に菊と山の字 
中は若松と朱の五点 
小は朱の五点 
いずれも赤糸の首輪が結んであります 
切手の図案になったのは中型の物です

 昭和46年(1971)    越後のスゲ細工 猪

新潟県妙高市(旧新井市)平丸

うりの木の茶色の樹皮を繊維状にしたものを編んで 
藁を芯にした物にかぶせ
猪の姿に仕立てた長さ25センチほどのものです
平丸地区は 平家の落人部落といわれ 
冬季は豪雪に閉じ込められるので
この冬ごもりの農家の副業に 
戦後 桐原の藁馬をまねて馬を作ったのが始まりで
干支の動物が作られてきました 
この猪は昭和46年の亥年に合わせ創作され
切手になった事により有名になりました 

 昭和47年(1972)    宝船  

料金改定により2色 
写真は 佐野土鈴 相沢市太郎作の宝船土鈴です
 

 昭和48年(1973)   色絵土器皿 尾形乾山

 昭和49年(1974)   梅竹透釣り灯篭

 昭和50年(1975)   桂離宮 水仙釘かくし

昭和47年より50年までの4年間
郷土玩具は図案に採用されませんでした

 昭和51年(1976)    辰車

福島県郡山市 三春張子 辰車

江戸時代 正徳 享保の頃まで 子供相手の
デコと呼ばれる張子がつくられていましたが
当時の三春藩主が 参勤交代の折 
人形師を連れて帰り 張子人形の技法を
農民らに習得させたのが始まりともいわれています
その後も藩主の保護で発展し 名工も輩出 
最盛期を迎え全国にその名を知られました
この張り子は 干支にちなんで作られたもので
両輪が付けられ派手な色彩になっています

 昭和52年(1977)    大山の竹蛇

神奈川県伊勢原市 大山阿夫利神社

大山阿夫利神社の参詣土産玩具で 
竹を3センチほどに輪切りしたものを10数片を
針金で細くつないで彩色し
蛇が動くがごとく作られています
尾の部分を持って動かすと 
赤い舌を出したかま首を左右に振って
蛇が動いているように見えます

 昭和53年(1978)    伏見人形飾り馬

京都市 伏見人形

古い歴史と伝統 そして京都としての土地柄
垢抜けして洗練された作風の中
庶民の心をひきつけ 素朴さをなくさず その夥しい種類
膨大な生産量 全国的な販路など
日本の土人形の源流といえる土人形です
飾り馬は
唐鞍(からくら)などの美しい馬具で飾った馬のことで
行幸の供奉(ぐぶ)祭礼等に用いられ
神馬して飾りつけられたものです

 昭和54年(1979)    中山人形ひつじ鈴

秋田県横手市 中山土人形

江戸時代 薩摩生まれの陶工が 鍋島藩を経て 
南部藩お抱えとなり窯業に従事したが
天保の大飢饉により禄を離れ 流浪の果て
湯沢で焼き物を始めその息子の嫁が技術を習得し
横手古来の押し絵や
歌舞伎絵を手本に土人形を作りだしたのが
始まりといわれています
原色を美しく用いて明るい色調が特色の
鋳込み方式の土人形です 

 昭和55年(1980)    喜々猿

大阪市住吉区 住吉人形 

住吉大社は 神功皇后が 新羅遠征の帰途に
住吉大神を祀ったのが 始まりとされる神社です
大阪の鎮守神で 摂津国一宮でもあり 
その住吉さんの 授与品 土産品として土人形がありました
江戸の中期に 北尾安兵衛という人が
伏見人形の作技を身につけて創始したといわれています
現在は 堺土人形(湊焼)津塩家にて製作されています
3匹を喜々猿 7匹を日和見猿
105匹を組み合わせたものを千匹猿というそうです 
 

 昭和56年(1981)    俵乗り鶏

長野県中野市 中野土人形

明治の初めころ 松本の押し絵雛が雛市に並び 
土雛も売られるようになって
初代の土雛が 昭和から大正にかけて 
雛市の名物になったといわれています
同じく 中野市には三河系の立ヶ花土人形もあり 
ともに3月末の雛市に並べられ人気を呼んでいます
俵に乗った鶏は 豊年鳥 といわれ 
俵の上で元気に啼く鶏の姿は農家の健康的な暮らしぶりと
豊作を予祝する象徴で豊年満作を祈った人形です 

 昭和57年(1982)    羽衣狆

山形県米沢市 相良人形

相良土人形は制作者の相良家に因み
この名前で呼ばれています
伏見七分に堤三分といわれそれぞれの影響を受けつつ
独特の人形として発展しました 
羽衣狆は色とりどりの豪華な涎掛けをした犬の事です 
柏の葉は譲葉と同じように新しい葉が育つまで
親の葉が落ちないことから家系が絶えない 
すなわち子孫繁栄 家門繁栄を
表す縁起の良いものとされます
羽衣に 葉脈の模様が描かれているものが
多々見られるのはそのためです
涎掛けを羽衣というのは「羽衣」を「葉衣」と解釈し
涎掛けは幾重にも重なり合う弧を描きながら 
傘を広げたように首の周りを覆い
安産多産の象徴である犬と 
子孫繁栄の象徴の柏の葉を組み合わせたものです

 昭和58年(1983)    しし乗り金太郎

宮城県仙台市 堤土人形 

堤町は藩政時代 奥羽街道の要衝にあり
足軽屋敷が配置され これらの下級武士たちが
生計の補助のため良質の陶土を利用し
冬季間でも家内作業の出来る陶業に従事し
その副業として人形作りを始めたのが起こりとされています
今戸人形の技法を通じ 伏見人形の影響を受けて
日本三大土人形の一つに数えられます
足柄山の金太郎が 熊ではなく猪に乗っているものです
 

 昭和59年(1984)    小槌乗りねずみ

滋賀県東近江市 小幡人形

江戸時代元禄(1688〜1704)年間 
この地の飛脚屋細居安兵衛が 京の伏見で
土人形制作の技術を習得して創業したといわれています
型は 伏見人形と大同小異で 
その大きな影響を受けています
描彩は泥絵の具で原色が多く
野趣のある郷土色が感じられ 
縁起物として松茸抱きなどの「わらい」のものは 
小幡人形独特のものです
小槌に乗った多産の縁起の良い鼠の土人形です

 昭和60年(1985)    作州牛(吉備牛)

岡山県津山市

美作国(みまさかのくに)は 令制国の一つで山陽道に属し
中国山地が瀬戸内海に落ち込んで行く
過程の山地側に位置し
国全体が海に面しない内陸の山間地で
平地は山々の合間に盆地が点在 
昔から和牛の産地として知られています
太い竹を輪切りにし牛の胴 少し細めの竹で頭とし 
細い4本の丸竹を足にしてあります
背中に備後表の畳を付けて赤い紐で結わえてあり 
頭に紅白の鼻綱がつき 竹をうまく利用した玩具です 

 昭和61年(1986)    神農の虎

大阪市中央区 道修(どしょう)町の神農の虎

少彦名神社は日本の医薬の神 少彦名の命と 
中国の薬祖神農氏とが祀られ
親しみと尊敬をこめて神農さんと呼ばれています
江戸文政 安政の時代にコレラが流行した際 
道修町の薬商が虎頭骨を配合した丸薬を施与しました
あまりに希望者が多いため張子の虎を作り
疫病除けのまじないとして領布したのが始まりで
神社の祭礼に授与される張子の玩具です 

 昭和62年(1987)    うさぎの餅つき

愛知県名古屋市 名古屋土人形

発祥の時期も創始者も判然としませんが 
江戸の末期には創始されたと考えられています
明治三十年頃から末期にかけては名古屋雛人形と呼ばれ
十数人の製作者が競い合って最盛期を迎えましたが 
その後衰退して 戦後は名工と呼ばれた野田末吉氏が 
ひとり最後の土人形製作者として
名古屋土人形の伝統を平成元年まで守り続けました
うさぎの餅つきは
兎年に創作されたもので夫婦兎の餅つきです 

 昭和63年(1988)    倉敷張子の辰

岡山県倉敷市

明治維新に失職した旧倉敷藩士の手内職として 
始められ姫路張子の流れをくみ生まれました
節句用の首振り虎や 素隠居 昇り猿など 
個性のある作品が多く
他の産地に比べて丈夫であるのが特徴です 

 昭和64年(1989)    土鈴の蛇

栃木県佐野市 堀米土人形

山口壬三さんが製作されたもので 
箱庭玩具製作の父親に負けじと
博多人形の人間国宝小島与一氏の弟子となり
修行をされてその技法を習得 
佐野に戻られ 土人形 土鈴を製作をされました
土鈴は 下野佐野土鈴としてあかぬけた彩色で 
土鈴の音色にこだわった繊細な作りものです

 平成 2年(1990)    八幡馬 浜松張子の馬

青森県県八戸市 八幡馬

櫛引八幡宮の例大祭に売られる木馬で 
境内で行われる流鏑馬に因み
一鉋一鑿の木馬を作ったのが始まりといわれています
直線を生かした荒削りで省略した姿で 
古いペルシャ系の名馬を思わせる造形が
南部馬の産地にふさわしく 
日本三駒の一つとして高く評価されています
静岡県浜松市 浜松張子の飾り馬

明治の初年 明治維新により禄を離れた
旧幕臣三輪永保(ひさやす)が
反古紙を使って張子玩具を創作し 
江戸風の張子玩具を作ったのが始まりで
いかにも武家好みの 気品有る独自の張子を製作しました
その後 第二次大戦の戦火で
木型を全て焼失してしまいましたが
二橋志乃により木型などが復元され 製作が復活し
伝統が引き継がれています  

 平成 3年(1991)    未 三種

A 佐賀県鹿島市 のごみ未土鈴 


Aは2度目の図案採用の印です
 
高知県高知市 滋賀県信楽町 香泉人形未土鈴

香泉人形とは、製作者の「山本香泉」からとった名前です 
製作者の初代「山本香泉」は 高知出身の女流画家で
戦後高知に戻り郷土玩具作りを始めました
土人形や張り子など、いろいろな郷土玩具を創作したが
1963年に72歳で亡くなったあと
長女の信子さんが二代目香泉の名を継ぎ 
弟の貞彦さんの協力もあって作り続けられました
貞彦さんは陶器の製作者であり その関係から
1972年に信楽に移り 製作が続けられましたが
2代目の香泉さんが亡くなり
平成3年10月この土人形は廃絶しました
高知から滋賀に移られた関係で 
この土鈴の産地がどこかと話題になりました 
広島県福山市 常石張り子の未

備後地方では旧暦の8月1日を八朔(はっさく)の節句に 
人形を贈る風習がありました
三次の人形は藩祖浅野長治が
家臣に贈った古事を継ぐものであるが
常石人形は明治20年ころに 沼隈町常石の宮本久平が
これに習って泥人形を作り
節句や八朔の縁起物として
籠に入れて売り歩いていたことに由来しますが
土人形は壊れやすく重いので 張り子にすることを思いつき 
三次(十日市)の土人形を張り子化したものです 
木型に紙を張り 型抜きしたものに胡粉を塗って 
その上に彩色して仕上げます
張りぼてとも呼ばれ
和紙の張り子に泥絵具で彩色されています

 平成 4年(1992)    金沢張子猿の三番叟

A 石川県金沢市  中島めん屋

縁起の良い三番叟を踊る猿の張子です   


Aは2度目の図案採用の印です
  A 滋賀県東近江市 小幡人形桃持ち猿

猿は去るに通じ これを魔が去る 厄が去ると解釈し 
魔除け 厄除けの信仰を寄せています
桃は 古来中国で珍重され
邪気を払う霊力がある神聖な果物とされています 
また西王母伝説に因んだ長寿の果物ともいわれ 
魔除けの猿が長寿の桃を手にしている
極めておめでたい作品です


Aは2度目の図案採用の印です
 

 平成 5年(1993)    鶏 二種    

富山県南砺市 五箇山の鶏 

五箇山和紙の十二支の紙塑人形。
紙塑(しそ)とは和紙の原料の楮(こうぞ)
三椏(みつまた)などの繊維を煮て溶かしたものをもとに
糊などを加え 混ぜて作った粘土状の材料の事で 
五箇山伝統の和紙で立体的な作品として製作されています
和紙の風合いを生かし温かみのある
ユーモラスなとぼけた味わいの人形です
富山県の合掌造りで有名な五箇山で
この紙塑人形がつくられています
 
福岡県津屋崎町 津屋崎土人形太鼓乗り鶏

江戸時代より作られ 大型の節句人形に特色があります
博多土人形の系統で 農民が火鉢 火消壺等を焼く傍ら 
手すさびに作り始めたものといわれています
古い博多人形の面影をとどめつつ 
素朴な土の香りのする土人形です
太鼓乗り鶏は 中国の故事 諌鼓(かんこ)にちなんだもので 
宮門に太鼓を置いて 政治に不満や意見のあるものは
太鼓を打って申し出よと布告した処
泰平の世で争いごとも起こらず 太鼓は使われることなく
放置されてしまいました
江戸時代の日本では 太鼓に鶏を乗せ 
金鳥帽子の猿とを組み合わせ
福をトリ 禍をサルとして縁起が担がれ 
天下泰平を喜び祝うものとなっています 
 

 平成 6年(1994)    戌 二種    

千葉県長南町 芝原土人形 羽衣狆

幕末に今戸人形の技法をとりいれ
始められたといわれていますが
明治の初め 初代田中錦造が農業の傍ら 
副業として作り3代に渡り製作され
昭和46年まで作られました 
その後現在は 4代目として千葉葱次が製作をしています
人形の中に入れられた小さな土玉により
カラカラと音がする事により 石ころ雛とも呼ばれます
土佐横綱犬

高知県高知市 滋賀県信楽町 山本香泉

A 現在は 土佐民芸社で土物 
草流舎にて張子が復元されています  


Aは2度目の図案採用の印です

平成 7年(1995)     亥  二種 

島根県出雲市  出雲張子の亥

A 猪の猪突猛進ぶりを表現したちょっとスリムな猪です


Aは2度目の図案採用の印です
 
岐阜県高山市 高山木版手染縫いぐるみ

木版手染は 真工藝が独自に開発した
他に類の無い手染の染付けです
素朴な生木綿に飛騨の木版で染付け 
高温で蒸して色止めし もみ殻をつめ
縫い合わせた終始手造りのぬいぐるみです
郷土玩具とはいえませんが 
ぬいぐるみという事で 玩具として扱いました
 

 平成 8年(1996)    薩摩首人形 米倉ねずみ

鹿児島県隼人町  薩摩首人形  米倉ねずみ

「薩摩首人形」は和紙を水で溶かし 糊で練りあわせて
粘土状にしたものを 割り竹の先に固め
指先で表情を手捻りした紙塑人形です
鹿児島に伝承される神話や民話を 
遊びを通して子供たちに伝えようと 約半世紀前に誕生
一本一本手捻りによる独特な表情は
手作りならではの味わいが魅力です。
首人形のほか 面かぶり等のからくり人形もあり 
このねずみも 米倉を出入りするものです
架空の世界の独特の幻想的な人形で 
制作者の鹿島たかしさんが亡くなられ
今となっては幻の郷土玩具となってしまいました 
  宮城県仙台市 堤土人形 唐辛子乗り乗りねずみ

A 宮城県仙台市 堤人形 唐辛子ねずみ

白いねずみと赤いトウガラシは メリハリの効いたな組み合わせで
ねずみが えとの最初だからだというので
「とうがらし」を並べ替えて「えとがしら」からついたという説や
ねずみの繁殖力と トウガラシの種の多さに  縁起かつぎをしたという説があります 

Aは2度目の図案採用の印です
写真の唐辛子ねずみは伏見製です

 平成 9年(1997)    沖縄張子闘牛  

沖縄県那覇市 沖縄張子闘牛

長い歴史の中で大陸から渡って来た
異国情緒あふれる独特の文化があり
色 形 ともに強烈なインパクトのある
中国風な感じの玩具です
旧暦5月4日をユツカヌヒーといい 
この日から5日間 市内に5日間玩具市が立ち
子供のいる家庭では 男児に チンチン馬 ハーリー船
女児には ウメバーグ等の玩具を買い与え 
我が子の健やかな成長を祈る習俗が古くからあります
  香川県高松市 大崎文仙堂 牛乗り子供

製作者の大崎豊五郎氏は 高松の郷土玩具の研究をされ 
古形の嫁入人形の復元や 郷土玩具の復興をされ
多大な貢献をされました
讃岐地方の多数の郷土玩具の制作を手がけられ、
その普及と再現に尽力されました
その長年の研究で 本来の高松の嫁入り人形は
泥とおがくず半々に混ぜたものを天日で乾燥させ
胡粉をかけ彩色したものと判明し 
その技法を再現して制作されました
 
 

 平成10年(1998)    虎張子 二種    

福島県郡山市高柴 三春張子腰高虎 

江戸時代正徳・享保の頃 
子供相手の張子玩具が作られていたが
当時の藩主が農閑期の副業奨励のため 
江戸の人形師を連れ帰り
その技法を農民に習得させたのが始まりといわれています
歌舞伎や浮世絵俗物 錦絵 狂言 等から取材され 
伏見人形 堤人形等の影響を受けています
三春独特の張子の技法により 複雑な形を作り上げ
洗練された面白みの特徴のある人形です
この腰高虎は 全国の張子の中でも傑作といわれています 
福岡県福岡市 博多張子の首振り虎

江戸時代より製作されているもので 
博多どんたくの祭礼にも面が用いられています
五月の飾りものにされるため
大型のものが多いのが特色です
大きく開けた口と 目の周りの黒光りした隈 
体も極彩色で明るく大陸風な雰囲気があります  
 

 平成11年(1999)    兎 二種 

千葉県佐原市 佐原張子餅つき兎

明治の末期からの伝統を受け継ぐ佐原張子は
和紙を重ねばりして作り
亀車や かに車のほかにも
達磨などの縁起物の作品が作られています
素朴な形とゴム動力を使った発想が好評で 
人気を集めている郷土玩具です
他にもお面を中心に たくさんの種類があります
山形県山形市 山形張子玉乗り兎

山形には かつて渋江人形という練り物玩具があり 
その流れをくんだ張子です
江戸安政年間 京より渋江家に入った人形師により
創始されたといわれています
二代目が浅草で修業し 
その技法の影響を強く受けているのが特徴で
渋江人形として 練物 張子人形が作られました
現在はその技術を継承し 
山形張子として製作されています  

 平成12年(2000)    龍 三種   

佐賀県唐津市 唐津曳山七宝丸 飛龍

豪壮華麗な 唐津くんち呼びものの曳山を象ったものです
唐津神社の秋季例大祭で 
神輿の御神幸は寛文年間に始まったとされ
曳山がこの祭りに登場するのは 
一番曳山の「赤獅子」が文政2年に奉納されてからです
曳山は明治9年までに15台が製作されていますが 
現現在残っているのは14台です
新町の飛龍 江川町の七宝丸がデザインに採用されました
  広島県福山市 常石張り子の辰

AAは2度目の図案採用の印です
  佐賀県唐津市 唐津曳山七宝丸 飛龍

豪壮華麗な 唐津くんち呼びものの曳山を象ったものです
唐津神社の秋季例大祭で 
神輿の御神幸は寛文年間に始まったとされ
曳山がこの祭りに登場するのは 
一番曳山の「赤獅子」が文政2年に奉納されてからです
曳山は明治9年までに15台が製作されていますが
現現在残っているのは14台です
新町の飛龍
江川町の七宝丸がデザインに採用されました
 

 平成13年(2001)    深大寺土鈴 笹野彫り巳

A 山形県米沢市 笹野彫り巳


Aは2度目の図案採用の印です
東京都調布市 むさし野深大寺窯

深大寺土鈴巻き蛇

深大寺は 東京で浅草寺に次ぐ古刹で
天台宗の別格本山として崇拝されています
むさし野深大寺窯は
吉田実 馬場信子夫妻が昭和32年に創業されました
武蔵野の草花や 十二支等素朴で
味わいのある土鈴を製作されています 
東京都調布市 むさし野深大寺窯

深大寺土鈴渦巻き蛇

 平成14年(2002)    午 二種   

愛知県西尾市 吉良の赤馬

忠臣蔵で敵役として知られる 吉良上野介義央公は
所領三河吉良一円で治山治水民業振興に力を注ぎ
善政をしいて領民に敬愛されていました
この赤馬は 吉良公の愛馬だった
赤馬を模して作られたといわれています
練物で長さ4センチほどのもので 
型抜きをして作られますが
手ひねり風の造りに素朴な愛らしさがあります
   
     新潟県妙高市 上越平丸スゲ細工 稲馬

A 

Aは2度目の図案採用の印です 
   

 平成15年(2003)    未 四種   

東京都台東区 仲見世助六 江戸趣味小玩具宝珠未 

徳川八代将軍吉宗の頃 贅沢禁止令が出され 
大型で豪華なおもちゃはご法度となり
できるだけ小さく精巧な細工を施したり 
玩具に言葉遊びを取り込んだ
江戸趣味の小玩具が作られるようになったのが
江戸趣味小玩具・豆おもちゃのはじまりです
 
北海道札幌市 橋本紀比古 陶人形 干支未土鈴

北海道・美瑛町で生まれ まもなく室蘭市に移り住み
1971年から京都にて
宮崎琢磨氏(陶人形作家)に師事し陶人形習得
1976年 札幌市にて独立 人形の制作を続けられています
「陶人形 干支土鈴」は 
素焼きの色をそのまま生かした土鈴です 
福島県会津若松市 中湯川土人形

青柳守彦氏が福島県会津若松市で
昭和57年から制作しているものです。
東京浅草生まれの江戸っ子である作者が
旅の途中に出会った土人形作家に出会い
大いに感銘を受け 人形作りを始めた
全国的に見ても珍しい土人形です
昭和59年 会津若松より
10数キロ入った廃村の家を譲り受けて窯を開き 
初期は 鶴岡人形の写しより始め 
以降 意欲的に独自の型に取り組んで 
現在では 日本全国の伝統の土人形に比しても
遜色ない土人形を製作されています 
岡山県瀬戸内市 邑久(おく)張子 干支未

邑久張り子は 江戸時代から
現在の岡山県邑久郡周辺に伝承されている玩具で
男児の初節句には 虎のように健やかな成長と出世を願い
『張子の虎』を贈る習慣があります
現在も、初節句のお祝いはもちろん 
交通安全等の魔よけとして 
また民芸品としても広く愛用されています
地元瀬戸内市邑久町出身の画家 
竹久夢二の生家の隣接地で武久守氏が制作しています 
  

 平成16年(2004)    申  二種   

兵庫県姫路市 姫路張り子出世猿

城下町で豊富に入手できる和紙の反故紙を材料として
大阪張子の制作技法を習得し
明治初期から生産されました
最盛期(昭和10年ごろ)には全国各地はもとより
台湾 南方にも送られるほど繁栄しました
日本を代表する張子のひとつで 
大阪張子の面影をとどめています 
  愛媛県松山市 伊予一刀彫三番叟

愛媛県松山市(旧:伊予の国)の南雲工房では
洗練されたラインで構成された彫刻です
大正5年 初代南雲(西川譲)は松山市道後に生まれ
13歳の時に仏師を志し
仏像彫刻の傍ら木彫りの伝統技法「一刀彫」の
手法を用いた木彫り人形の創作に取り組みました
現在 二代目が愛媛県松山市で
「日本の四季と木彫り人形」をテーマに 
先代の意を継承しつつ
独自の創作活動を続けて 繊細で優しい彩色を施し
緻密さと大胆さを兼ね備えた
新しい感覚の作品を制作しています
  

 平成17年(2005)    下野土鈴 干支とり   

栃木県宇都宮市 下野土鈴 干支とり
雄鶏

栃木県は古く下野国(しもつけのくに)と呼ばれ 
奈良時代には国分寺や国分尼寺等が設けられた
宇都宮市の郷土玩具です
栃木の瓦の土と 陶器の里・益子の土を使って
県内の名所・旧跡名物郷土玩具 
各地の伝説等を題材としていろいろな土鈴が作られています
 栃木県宇都宮市 下野土鈴 干支とり
雌鶏
  大分県日田市 日田土鈴 十二支酉 

天領として代官所のあった日田市で 
当時の面影を残す古い家並みが保存されています
雛土鈴は手すき和紙を張り、
墨で一つ一つ手書きで絵付けされていて
他にも泥はじきや干支土鈴などがあり 素朴な味わいです 
 

 平成18年(2006)    佐土原土人形   

宮崎県宮崎市 佐土原土人形

江戸安政年間から作られてきたという
古くからの土人形の産地です
伏見人形の型と類似のものが多く見られますが 
饅頭喰人形が羊羹喰人形といわれています
佐土原独得の明るさと おおらかさがあり 
南国九州の面影が人形にも伝えられています
 
    秋田県 秋田犬 郷土玩具ではありません

秋田犬(あきたいぬ) 秋田県原産の日本犬の一種で
国の天然記念物に指定されている6つの日本犬種のうち 
唯一の大型犬種です
「あきたけん」と読まれることも多く
忠犬ハチ公のエピソードで有名で
主人に忠実な家庭犬の品種として広く知られています

柴犬 郷土玩具ではありません

柴犬(しばいぬ)は 日本原産の日本犬の一種
日本の天然記念物に指定された6つの日本犬種の1つで
日本で最も多い飼育頭数で小型犬に分類される
天然記念物に指定された犬種の中で 唯一柴犬のみが地方名を冠していません 
  

 平成19年(2007)    亥 二種

富山県富山市 富山土人形干支猪

嘉永年間 富山十代藩主前田利保が
名古屋の陶工を富山に呼び
千歳御殿に窯を築いて千歳焼を作り 
ついで その子安次郎が陶器の傍らに天神臥牛を焼いて
献上したのが 富山土人形の始まりです
富山の土人形は 現在二ヶ所の工房で製作されています
富山市肝いりの伝承会と 
古来の制作法にこだわって伝統を守っている土雛窯です
A 東京都台東区 仲見世助六 江戸趣味小玩具宝珠猪


Aは2度目の図案採用の印です
 

 平成20年(2008)    奈良井福徳ねずみ土鈴 

長野県塩尻市 奈良井福徳十二支ねずみ土鈴

木曽路 奈良井宿で
藤屋 中西 康二氏が創作された人形です
土人形・土鈴・木製玩具・切り絵などを製作販売されました
全商品を店主が作成し 他から仕入れた商品は一品もなく
すべて店主のオリジナル商品でたいへん多数の型があり 
木曽路の宿場にふさわしい品ばかりですが
中西さんが亡くなられ 大変残念ですが廃絶となりました
ちゃんちゃんこを着ているねずみが
福俵に並んで乗っている土鈴です
  山梨県甲府市 甲府土鈴十二支招福土鈴・子

初代斉藤岳南さんは 郷土玩具の蒐集と研究に没頭し 
その後自ら製作をされ
戦後久しく途絶えていた伝統的な玩具の復元や
創意工夫を凝らした新作の制作をされました
現在は二代目がその技術を引き継がれ製作されています
温かみのある作風が特徴の土鈴 玩具です 
 

 平成21年(2009)     丑 二種

長崎県佐世保市 願かけ牛

昔 この地方に権勢を誇った領主がいて
或る夜のこと 夢の中で
真紅の牛が西方より東天に駆け昇り
「汝の守護神となり其の悩みを除き三つの願いを叶えよう」
と告げました
その後領主は 足利将軍に謁見を許され
領土世襲を許され
末永く此の地方の領主として繁栄したと
云い伝えられております
それより後世 幸福の牛として人々から愛され 
繁栄と厄除けの祈願の牛として
今日に伝わったのもので 
これが願かけ牛のおこりです
    広島県三次市 三次人形牛乗り天神

江戸寛永の時代に 藩主が江戸の人形師を呼び
人形を焼かせたのが始まりといわれていますが
博多人形 島根長浜人形の影響を多く受けて作られました 
廃絶の後 明治初年十日市にて創始
戦後町村合併により
再び三次人形と呼ばれるようになりました
この地方では初節句に 男児には天神 
女児には立ち娘を贈る風習があり
松負い天神 牛乗り天神 梅天神など 
大小さまざまな種類があります 
独特の磨きだしの技法での 美しい艶が特徴で 
光り人形 と呼ばれています 
 

 平成22年(2010)    寅 二種         

B  石川県金沢市 中島めん屋 加賀魔除けの虎        



B は3度目の図案採用の印です
  静岡県静岡市 静岡張子首振りの虎
 
「沢屋」杉本家は「ダルマ屋」といわれて
静岡の 張子造りを 引き継いでこられました
神社 祭礼 正月初市などに
縁起物として売られる各種のものを 製作されて 
お面だけでも200種ほもどあり 
多くの旅役者が ここに来ればなんでも間に合うと
重宝がられたそうです
残念にも 昭和15年の大火 
昭和20年の戦災で全ての型を焼失し 
達磨 祝鯛 軍配 首振りの虎 面数種 
犬張子などだけになってしまいました
かつて静岡に歩兵連隊があったころ 
演習に行く兵隊の姿勢が悪く上官に叱られ 
この首振りの虎を引き合いに出したという
エピソードが有るそうです
四代目の杉本栄司さんが亡くなられ 
この伝統の張子も廃絶してしまいました 
  

平成23年(2011)     兎 二種

兵庫県丹波市 稲畑土人形小兎土鈴

この地は良質の粘土に恵まれた古丹波焼の生産地で 
それを利用し 初代が伏見人形に模して
作り始めたのが始めといわれています
丹波地方には初節句に天神や人形を贈る風習があり 
そのための節句人形が作られました
現在は五代目の赤井君代さんが後を継がれ 
伝統を守られています
  
福島県西会津町  西会津張子 

豊臣秀吉に仕えた蒲生氏郷公が
会津の領主として伊勢から国替を命じられた際
下級武士達の糧になるようにと 京都から人形師を招き
技術を習得させ殖産振興を図りました
その後、会津独自の生活習慣 信仰を反映した
郷土玩具が作られました
張り子の多くは 子育て 開運 商売繁盛 五穀豊穣などを
祈願して作られています 
丸びを帯びた可愛らしいデザインが特徴です
 

平成24年(2012)      龍 三種

高知県高知市 土佐和紙雁皮張り子 龍

平成5年を最後に製作者が途絶えていた
「香泉人形」を復活させるため 
これに取り組んできた草流舎が「香泉人形」の型を元に
製作したものです。
原材料には土佐和紙の中でも最高品質の一つといわれる
雁皮紙が使用され その張り子の中には 
おめでたいといわれる無患子(むくろじ)の実が入っており 
振るとカラカラと素朴な音がします
「香泉人形」は 製作者の「山本香泉」からとった名前です 
初代「山本香泉」は、高知出身の女流画家で
土人形や張り子など 南国高知らしい
さまざまな郷土玩具を創作しました
  神奈川県藤沢市 相模土鈴 首龍 

相模土鈴は、陶芸家 相沢伊寛氏が制作している土鈴で 
湘南の民芸品として親しまれています
本作品は、民俗学者 南方熊楠(みなかたくまぐす)や
柳田国男の文献等をヒントに製作され
頭や口に縁起物の玉が置かれているのが特徴で 
運気の上昇を願って創作されています
伊寛氏は 土鈴界の最長老 
佐野土鈴相沢市太郎氏のご子息です
展示の辰土鈴は 相沢市太郎氏の龍頭土鈴です 
 

 平成25年(2013)    巳 二種

A長野県塩尻市 奈良井土鈴福袋巳


Aは2度目の図案採用の印です

  福岡県北九州市 門司ヶ関人形干支巳

第2次世界大戦後、戦地より復員してきた柳瀬重朝氏は 
貧しさの中「シャボン玉売り」で 子供たちへのオマケとして 
昔 母親が作っていた?粉(しんこ)細工のお人形をヒントに
小さな土人形を作りました
民芸ブームで湧いていた当時 
この人形が郷土玩具の研究家諸氏の目に留まり 
文字ヶ関人形と命名され
子供のオマケから始まったものが
郷土の民芸品として製作され人気を博しました 
柳瀬氏が亡くなり廃絶しましたが
上村誠氏が 遺された数少ない人形を参考に 
名前を門司ヶ関人形として復活され 製作されています 
「門司ヶ関」とは関門橋の真下に鎮座する
和布刈神社の境内地に置かれていた
太宰府官道の関所のことです  
 

平成26年(2014)     午 三種   

B佐賀県鹿島市 のごみ人形稲荷駒 

祐徳稲荷の初午の参詣土産として創作
白馬の背に宝珠が乗り
重量感があり 簡潔な彩色が美しい馬です



Bは3度目の図案採用の印です
 
  
A秋田県横手市 中山土人形 春駒土鈴



A は2度目の図案採用の印です
   沖縄県那覇市 沖縄張子ちんちん馬

木製の箱車の上に張り子製の馬が乗っている
沖縄の王朝の風俗です
馬場へおもむく王と馬の晴れ姿をうつした
沖縄の代表的な郷土玩具で
この箱を動かすと 箱の裏に仕込まれた針金の弦を
弾きピンピンと音がし 
馬の首が上下に動くからくり玩具です
  

 平成27年(2015)    未 二種

A長野県中野市 中野土人形 ひつじ



A は2度目の図案採用の印です
 A鳥取県岩美町 岩井温泉 十二支未



A は2度目の図案採用の印です
  

 平成28年(2016)    申 二種

滋賀県大津市 大津絵十二支土鈴猿

滋賀県の大津に伝わる伝統的な民画である
大津絵の中から
十二支を取り上げているものを題材として
田進氏が制作した郷土玩具です
提灯と釣鐘を前後に吊るした天秤棒を担ぐ猿の土鈴です
天秤の傾きは、軽いはずの提灯が下がり
重い釣鐘が上がっています
重んずべきものを軽んじ 
道理が転倒している世の中を風刺したものです
A高知県高知市 土佐和紙漆喰張り子 こだき申

和紙を何重にも張り重ね 
自作した独自の漆喰絵の具で彩色してあり 
素朴な中に優しい彩色が温かみを感じさせます  


A は2度目の図案採用の印です  
     
     
     


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蛇足

近年 年賀切手の種類が増えすぎて
切手や郷土玩具を集めている人にとっては 
集め難い物があるかもしれませんね(苦笑)
又 郷土玩具と言って良いものか 考えさせられる物も多々あるようです
あまりに高価な値段の物や 限定的で入手困難なものなど
はてなと 首をひねる様な物もあります
誰が切手の図案を決定しているのかは 知りません
切手のデザインなので文句を言う筋合いではありませんが 
コレクターの立場も一考して頂きたいものです(爆)