三河 大浜土人形
数多い愛知県の郷土玩具の中でも 三河土人形といえば
代表格になるのですが
中でも この大浜土人形は
その中心的なものとして知られていました
大浜土人形の歴史 俵有作編集 日本の土人形より |
明治25・6年ごろ美濃部四市によって始められたが 四市が日露戦争に従軍し戦死したので兄の泰作が後を継いだ 大浜土人形も棚尾と同様に 歌舞伎外題物が大半を占めているが 棚尾と比べて 色彩が明るく 一段と華やかである 禰宜田佐太郎は一度も師に付くことなく 自らの創意工夫で人形作りを開拓してきた 禰宜田家は武者物を得意とし 組み物の多い尾三の土人形のうちでも 賤ヶ岳 加藤清正と山路将監正国(四方田但馬守)の 大物にいたっては他の追随を許さない 佐太郎の死後は 章が後を継ぎ 一時製作を中絶した事もあるが 再び開始して 三河唯一の作者として大浜土人形の声価を高めた |
禰宜田家に伝わる橋弁慶 達磨大師 .高砂 狸などの作品 (クリックすると大きくなります) |
禰宜田さん御夫妻 |
その禰宜田さんが この 拙HPを覗いてくださり 「 父親が亡くなってずいぶん経っていますが 見よう見まねで 人形作りを始めました」 と お便りをくださいました それは 血筋・・・幼い頃から側にいて 名工の仕事振りを肌で受け継がれていたようです まだ 仕事勤めの傍らということで いろいろなものを と言うわけにはいかないようですが まずは 腕試しという事でまねき猫をわけていただきました 先細る一方の郷土玩具・土人形の世界で 一筋の光明を見出した思いがします |
彩色を待つ人形達 | 先代からの道具箱 |
作業台 と 型 | |
初めての作品たち |