2005/05/29

三河 大浜土人形




 


数多い愛知県の郷土玩具の中でも 三河土人形といえば
代表格になるのですが
中でも この大浜土人形は
その中心的なものとして知られていました

大浜土人形の歴史
  俵有作編集
  日本の土人形より
明治25・6年ごろ美濃部四市によって始められたが
四市が日露戦争に従軍し戦死したので兄の泰作が後を継いだ
大浜土人形も棚尾と同様に 歌舞伎外題物が大半を占めているが
棚尾と比べて 色彩が明るく 一段と華やかである
禰宜田佐太郎は一度も師に付くことなく
自らの創意工夫で人形作りを開拓してきた
禰宜田家は武者物を得意とし
組み物の多い尾三の土人形のうちでも
賤ヶ岳 加藤清正と山路将監正国(四方田但馬守)の
大物にいたっては他の追随を許さない
佐太郎の死後は 章が後を継ぎ 一時製作を中絶した事もあるが
再び開始して 三河唯一の作者として大浜土人形の声価を高めた
禰宜田家に伝わる橋弁慶 達磨大師 .高砂 狸などの作品
(クリックすると大きくなります)


しかし その作者である禰宜田章さんもすでに亡くなられ
幻の土人形になっていました

高山さん(旭土人形)で 禰宜田さんの息子さんが
人形作りを始められたと聞き 楽しみにしていましたところ

禰宜田さん御夫妻
その禰宜田さんが
この 拙HPを覗いてくださり
「 父親が亡くなってずいぶん経っていますが
見よう見まねで 人形作りを始めました」
と お便りをくださいました

それは 血筋・・・幼い頃から側にいて
名工の仕事振りを肌で受け継がれていたようです
まだ 仕事勤めの傍らということで
いろいろなものを と言うわけにはいかないようですが
まずは 腕試しという事でまねき猫をわけていただきました
先細る一方の郷土玩具・土人形の世界で
一筋の光明を見出した思いがします
彩色を待つ人形達 先代からの道具箱
作業台 と 型
初めての作品たち


足助のひな市で見た
賤ヶ岳や 勧進帳 牛若弁慶といった
体が固まるほどの素晴らしい人形が現代に蘇り
いにしえの人形達に 新しい命が吹き込まれる日も近いと
わくわくして帰ってきました
近くの 旭土人形の高山さんも八十齢を過ぎて
益々お元気で仕事をされています
三河土人形の未来が楽しみです


『「週末起業家」として制作に励んでいます
まだまだお分けできる作品には 仕上がっていませんが
まねき猫は 自分なりに お分けできる作品になってきました』
                                     禰宜田談
との事で 五匹 (五体) 分けて頂いてきました


これから 少しずつですが 大浜人形が我家にお嫁入りしてくる日が楽しみです
                                                2004・9・6

大浜土人形 追記(2005・5・17)
大浜が益々楽しみになってきました
5月のGW最終の日曜日に お訪ねしました
目的は 以前お願いしていた五条橋の牛若丸と弁慶です
中馬のおひなさんを見に出かけた足助で
数々の歌舞伎物の組み物に魅せられ
その迫力に参ってしまいました
前回禰宜田さん宅で お父上の章さんの作品を見せていただき
再び 雷に打たれたかのように痺れてしまい
弁慶の薙刀を構えそっくり返った姿に
見ている自分がひっくり返りそうになりました
三河土人形の真髄に触れたような気分になりしばし茫然でした
その時の徹さんは まだまだ是だけのものは出来ませんとおっしゃられていたのですが
今回お伺いして 想像以上でした(失礼な表現で申し訳ありません)
週末起業家とおっしゃられてはいるものの その努力と熱心さは大変なものです
日 一日とお父上に近づかれているように思います
確かに細かい技術的なものはまだまだお父上の域までとは行かないと思いますが
人形作りに賭ける情熱と研究心は私のような者にまで伝わってきます
一体ずつ作られるごとにその進化が見えるようです
そして その進化が大浜の真価となる日を期待しています
毎年毎年が楽しみになってきました
これからも人形作りに精進されて
我々の目と心を楽しませていただきますよう祈念しています

五条橋 牛若丸 弁慶




天神


弁慶
今回 傷んではいますが 二体の古い土人形を
手に入れましたので 徹さんに 見ていただき
お父上(章さん)の 作品で間違いないと鑑定していただきました


お手持ちの人形と・・・






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