観音正寺授与鈴
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西国32番札所
往古、聖徳太子がこの地に来臨された折節
紫雲たなびく繖山(きぬがさやま)をご覧になって「これぞ霊山なり」とおぼしめされた
琵琶湖のほとりで人魚に呼び止められ
人魚は『私の前世は漁師で、殺生を重ねてきたので、こんな姿にされてしまい、
今では魚たちに苦しめられています。どうか成仏させて下さい』といって頼んだという。
聖徳太子はこの願いを聞き入れ、
千手観音像を刻み、推古天皇13年(605年)に堂を建立し、
観音像を祀ったのが寺の創始とされている。
以来、太子が近江国に創建された十二箇寺中の随一の寺院として、
湖東地方に勢威を振るってきた。
ところが、応仁・文明の乱に際し、近江国守護職・佐々木六角氏が
この山に居城を築いたため、寺は兵乱に罹(かか)ったり、
山麓に移されたりするなど苦難の路を辿(たど)ることとなった。
その後、永禄十一年(1568)、織田信長により六角氏が滅ぼされたため、
慶長二年(1597)、再び山上に堂塔が営まれることとなったが、
往時をしのぶべくもなかったようである。
古来、万事吉祥の縁結びの祈祷道場として老若男女の尊崇を集め、
四季を通じての景勝の名刹でる。
人魚伝説に基づき 小幡で作られた
残念ながら 現在 観音正寺では授与していない