鍋かぶり人形
(米原市)

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伊勢物語」に詠まれた筑摩の祭りは、平安貴族にも広く知られており
現在鍋冠祭と呼ばれ、筑摩神社の春の祭礼として毎年5月3日に行われている。
この祭は平安時代からの伝統を持つ祭で、日本三大奇祭として知られている
狩衣姿の少女八人が鍋をかぶって行列に加わることから
「鍋冠り祭」と呼ばれています。
行列には鍋・釜をかぶった少女のほか、
鉾・猿田彦・神楽獅子・列太鼓・母衣・神鏡・青竹・先箱・長刀
・金棒・楽人・榊・唐櫃・翳羽・御鳳輦・曳山など総勢二百余人が、
お旅所から約1km離れた神社まで練り歩きます

むかし 男 女のまだ世へずと覚えたるが
 人の御もとにしのびてもの聞えてのちほどへて
               
近江なる筑摩の祭とくせなむ
   つれなき人の鍋のかず見む

御あがもののなべをもちてはべりけるを
 大ばんどころより人のこひはべりければ
 つかはすとてなべにかきつけはべりける

おぼつかなつくまの神のためならば
     いくつかなべのかずはいるべき

冠祭のいわれ
筑摩神社の祭神は、御食津大神・宇迦之魂神・大年神であり、
いずれも食物を掌る神々であることや、
筑摩の地が平安時代に宮内省内膳司に所属する
筑摩御厨という宮中の食物を掌る機関があったことから、
神前に作物、魚介類などを供えるとともに、
近江鍋と呼ばれた特産の土鍋を贖物としたことが、
鍋冠祭りの原初の姿ではないかと考えられている
祭りの由来については諸説があるが、
中心となる鍋冠りについて筑摩神社に伝わる「筑摩大神之紀」によれば
「鍋冠りは十五歳未満の少女をもってこれを役とす、
若しその中に犯淫の輩在るときは、必ずその鍋落ちて発覚す」とあり、
古来より今日に至るまで婦女の貞操を重んじるという説が有名である。
今の祭儀は後世の付会があってかなり変化があり、
その起因についても諸説があります。
「女人の不貞を戒める」との説も後世の付会によるものと考えられるが、
その起因は詳らかでは無い
(鍋冠祭は米原市の無形民俗文化財に指定されています。)


小幡人形 細居文造により創作されたもの