2011/04/25

堺土人形と住吉大社の玩具


堺土人形と住吉大社の諸玩具


住吉大社は 神功皇后が、新羅遠征の帰途に
海の神である住吉大神を祀ったのが 始まりとされる神社です
大阪の鎮守神で 摂津国一宮でもあります
その住吉さんの 授与品 お土産品として 住吉土人形がありました
江戸の中期に 北尾安兵衛という人が伏見人形の作技を身につけて
創始したといわれています
現在は 堺土人形(湊焼)津塩家にて製作されていますが
神社から授与されているものは 伏見ほか 流し込みのものばかりで
昔からの 土人形といえるものは 
現地でも ほとんど売られていない状況です
古い 住吉土人形と堺土人形の区別を 
つける必要はないのかもしれませんが
古くに廃絶されていますので
どうにもそのサカイ(笑)が 判りません
という事で どの人形がどちらということにはあまり深く踏み込まず
紹介させていただきます
あまり深く考えても 頭が痛くなるので
この土人形の研究は専門家の方にお任せします(逃げ足)
間違いなども多いかと思いますので
お分かりになる方 ご教示等々 いただければありがたく存じます
よろしくお願いします
手持ちのものは 比較的新しいものが多いのですが
小ぶりで いかにも大阪らしい
味わいのある 大阪独特の雰囲気を持った
土人形を楽しんでください


住吉大社の干支

社務所では 常時十二支の干支物が授与されています
形は 昔ながらのものに似せてありますが
ほとんどのものが流し込みとなっています
ものにより どちらかと云うと人気のないもので「白髭」などなどは
古い手込めの人形が 残っているかもしれません
どれも小さくて 素朴で 簡単な絵付けがされただけのものですが
どことなく 大阪らしい雰囲気を漂わせているように思うのは
関西人でない私の僻みが入っているのかもしれません(笑)
画像の左側が比較的新しいもので
右側が比較的古いと思われるものです


初辰参り

  

初辰の猫   楠玉神社

  

  商売繁盛の縁起物で 住吉大社の末社楠玉神社へ
毎月初めの辰の日に参詣して これを求めて神棚に飾り
四年間に四八体揃うと
「始終発達」となって大願成就となります
 
   現在は 伏見製の流し込みのものが授与されています
これが四十八体も並んだら壮観です
四十八体揃ったら 大きなものと替えて頂けるそうです
ただし その間に ちょっとでも 凶事があると
最初からやり直しになるという事なので
やり遂げるのは 大変なことです
招き猫の左を上げているものは客を
右を上げているものは金を招くといわれていますが
この風習は江戸末期花柳界から起こったものらしく
信じる者は救われます(笑)
 
   現在のものは 裃の伏見製ですが
古くは 紋付羽織のものだったのでしょうか
いつから 裃姿に変わったのかは 判りませんが
大阪らしさから云えば 羽織姿の方が
なじむような気がするのですが
いかがなものでしょう


2010年秋〜2011年春 まで NHKで放送された
『てつぱん』のお好み焼屋のお店の中に飾られていた
初辰の猫が大阪の 雰囲気を 出していた様な気がしたのは
私だけでしょうか?!
あの大きな 初辰猫がほしい!!
 



種貸しさん  苗見神社

 

住吉大社末社苗見神社は 本来五穀満作の農神で 農作物の良い種子を授けられるという信仰が
人間の子宝の種を貸すことに転じたものです
子授けのまじない人形として これを神前に供え祈願し
祈願成就して子供が授かった場合に 更に一体を足してお礼参りをします
赤子を抱いた巫女の姿に 子供に対する思いが浮かび上がってきます
 

大歳社


  


浅澤神社



芸事上達 女性守護神

 



おもと人形  侍者(おもと)社

  

祭神である初代の神主(田裳見宿禰)と
その姫神(市姫命 (いちひめのみこと))をまつり、
縁結びの神様として、厚く信仰されています。
絵馬掛けが有名で、
さまざまな願いが書かれた絵馬で埋め尽くされています
人魚洞文庫でも紹介されていますが
手持ちのものは 堂入りで仲良く入っておられます


左神馬


 

住吉大社の神馬を写したもので
三つ巴の白抜き紋を藍色の腹帯に配した白馬の姿です
馬屋が お宮の左側にあるので 左神馬と呼ばれるようになったそうです
干支のものより 
かなり太めに 作られており ダイエットが必要かと思います(笑)


恵比寿様




小さな鯛抱き戎ですが 
小さいながらもふくよかさを目一杯発散させています
この味は 他の土人形では なかなかありません
大黒様と一緒ならもっと ありがたみも増すと思うのですが
致し方ありません

五大力



住吉踊り



住吉大社に伝わる踊りで 音頭取りが長柄の傘を持ち 
その柄を扇子で打ちながら 歌をうたい
菅笠をつけた童子たちが その周りを団扇を打ちながら 踊りまわります
御田植神事の最後に踊られる田楽舞で
神功皇后が新羅との戦いで 勝利して凱旋の際 
祝福歓迎の為踊った事が 始まりだと伝えられています 
これはそれを写したものです
からくりの住吉踊りは 名古屋などで見られるものと同じ構造のもので
横木を動かすと 取り付けられた人形が
くるくると回りだすもので 祭りの踊りを彷彿とさせるおもちゃです



睦犬



和合犬とも呼ばれていて 雌雄の白にプチの犬2匹が交尾している姿を写したもので
安産 夫婦和合 腰の痛み 疝気のおまじないととされています 

 かつては 野良犬が近所にもいて そんな姿を見かけたこともありました(古い話)
今では ブリーダーにお願いしないと 子供は授かりません
犬の世界も 人の世界も 郷土玩具の世界も 子供が少なくて将来が不安ですねぇ


御幣猿


 背面に住吉大社の印刻があります
干支のものに比べると大きいものですので
申年に頒布されたものでしょうか
目の周りが白く縁取りされて 眼鏡をかけているようです
簡単な彩色ですが 住吉らしさがよく表れていると思います


俵鼠




十二支の干支のものと同じぐらいのサイズの人形です
俵であれ小槌であれ 縁起物の上に乗っている鼠は
本来ならば害獣なのでしょうけれど(笑)
丑の背中に乗って干支の一番乗りをしたため
なんであれ一番は 偉い!ということでしょうか
俵の上にちょこんと乗っている姿は 何ともほほえましい

天神様



良く似ていますが 住吉の天神様と 船待ち天神の2種類です
住吉天神は金田新平の作
少しだけ小ぶりな方が 堺土人形で

 
 住吉天神


 船待ち白天神   船待ち黒天神

 
堺市西湊町にある船待神社で
授与されていたもので 津塩製です
独特の威厳をもつ天神様で 湊天神とも呼ばれます
船待神社は塩穴天神社と云われ 
菅原氏の祖神である天穂日命を祀っていました

901年(昌泰4年)菅原道真が左遷により大宰府に赴く途中 
道明寺にいる伯母に別れを告げた帰途 船を待つ間 
菅原氏の祖神を祀る当社に参拝し、
松の木を植え出発したと伝わっています
1002年 道真の子孫が 道真の残した旧跡を種々調査し
官に願い出て、天穂日命の社に道真を合祀し 
船待天神社と改称したものです


 そのちょっと先に津塩さんのお宅があります
 
 


裸雛


裸体の男女一対の変わり雛で 男雛は黒冠で手に長い笏を持たせ
女雛には扇を持たせています
住吉人形の末期の作品と云われ 夫婦和合の縁起があります
夫婦だけでも 裸と裸のお付き合いという事で
包み隠さず 本音でお付き合いということが理想ですが
現実は いかがなものでしょうか(笑)
これは 当代の津塩吉衛門さんの作です

南蛮人形



昔 海外との通商の港として栄えた堺には 紅毛人が多く訪れ
その当時の 異国風俗を人形化したものです
黒いマントの宣教師や 
マドロスパイプを咥えて 銃を持ったポルトガル人士官などがあります
時代は違いますが 横浜の開港人形とも 
相通じるものがあるような気がします
もちろん こちらの方が歴史がうんと古いもので
貫禄勝ち(笑)
かぶっている帽子のふちが良く折れてしまい
修理されている人形をよく見かけます


南蛮雛


一風変わった意匠のおひなさんで 津塩製です
女雛はさほどでもないのですが
男雛の方は帽子をかぶり笛を吹いています
一升瓶を咥えているように見えなくもない(笑)
本当にお雛様かいなと思うのですが どうでしょうか
自らを祝っているのかもしれません
何ともいえぬ独特の雰囲気があります


喜々猿

 手捻りの猿を
順に背の上に乗せ
組み上げたものです
一番上の猿は日の丸を持ち
遠くを眺めているようです

年賀切手になったのが
三匹を組み合わせた喜々猿です
残念ながら画像がありません


3匹を喜々猿 
7匹を日和見猿 
十一匹は何と呼ぶのか判りません
105匹を組み合わせたものを千匹猿
というそうです
実際に105匹を本当に
積み重ねているのかどうかは
判りませんが
伊藤蝙蝠堂さんのおもちゃ箱を
見学させていただいたときに
見せて頂いた喜々猿は
下段部分が二重(二列)になっていて
その上に順番に積み重なり
大迫力でした



これを祀ればすべての厄を祓い
家庭円満になるそうです
厄や災いが去る(猿)ように
といった縁起担ぎでしょう

手持ちのものは
二匹 七匹 十一匹 です
偶然手元にあるこの2匹のものは 睦猿で良いのでしょうか
十二支の中にあるものとはずいぶん雰囲気が違います
 




埴輪馬




埴輪のような馬です
なぜこのような馬が 堺で作られたのか判りません
近くに古墳とかがあり出土していたのかもしれませんが
勉強不足で判りません
なんとも不可思議な感じのするお馬さんです
制作者の津塩さんに 
その謂れを聞いてくれば良かったと悔やんでいる今日この頃
九州あたりの埴輪馬とは全然雰囲気が違います

鯛車




堺土人形の中では 大きなものの部類に入ると思うのですが
それでも   センチぐらいです
車の部分まですべて土製で 土の触感が 粗目で何とも素朴です
鯛の表情が何とも言えなく とぼけて良いです
紐は自分でつけたものです
他では あまり紹介されていないものですので
堺 住吉 のものだとは思っているのですが
ご存知の方がお見えでしたら お教えいただけるとありがたいです



郷土玩具の部屋へ戻る