2006/07/03

蘇民将来の部屋


各地の 蘇民将来

桃・柳の木などを、六角あるいは八角形の柱塔状に作った信仰玩具
疫病除け、出世開運の守りとして全国各地の牛頭天王社、
あるいは明治維新の神仏分離令で分かれた八坂神社、寺院などで頒布される
蘇民将来は、奈良朝時代の『備後風土記』に登場する人物名で、
説話によれば、スサノオノミコトが備後の国鞆ノ浦で道に迷い
土地の富裕な巨旦将来に宿を求めて拒まれ
かえって赤貧の兄、蘇民将来が歓待してくれた
そこで尊は、今後は茅の輪を作り、家族一同それを腰に下げよ
必ず良きことがあろうと教え、
「今後疫癘行なわれしと時、汝が子孫と称する者には厄を免かれさせる」
と告げて去った。その後疫病流行するたびに
蘇民一家だけは、「蘇民将来子孫」の門標を掲げて役を免れたという
この神の遍歴伝説から発したもので、柱筒状の側面には「蘇民将来子孫」の文字が記入されている
小型のものは子供の腰下げ、大は神棚に供えたりする
肌守りとしても用いられてきたが、素材の桃や柳は、
中国では疫病を払う陽.木とされている
したがって、これを身に付けることにより現世利益を求める
中国の道教思想が神仏信仰と混交して、この信仰玩具になったものと考えられる
民間信仰と郷土玩具との関係において特殊な位置を占めている

・・・・・郷土玩具辞典・斎籐良輔編より抜粋・・・・・・・・

信州上田国分寺八日堂薬師で
授与されるもの
ここのものは大きな物から小さな物まで
さまざま有り
寺から授与される物と
境内で売られる物とは区別されている
中には七福神などの絵入りのものも有り
バリエイションも多い
かつての神仏混合の時代に
天王信仰と薬師如来の崇拝が
合体したものと考えられる 蘇民将来の中でも
最も著名な物の一つに挙げられる
京都祇園の八坂神社蘇民将来
ここの物は八角筒状の物で 各面に
朱 緑 等で彩色し 一字ずつ
「蘇民将来之子孫也」
と墨で横書きしてある
筒の真中を麻紐で通し
其の先端に細長い紙守りが2枚括り付けてある
名古屋洲崎神社の蘇民将来
板状で神札に近い形の物が授与されている
三重県伊勢地方では正月のしめ縄を
一年中掲げているが
門松に「蘇民将来子孫門」
と墨書きした護符をくくり付けたり
柳の木の長方形の板に「蘇門」と書いた護符を
二枚合せてくくり門口にかける事も有る
筒状の物に比べ、より 神札に近い扱いを
されている物と考えられる
津島神社の蘇民将来は
自分の地元といふこともあって
より親しみを感じている
形からは
すぐに男性のシンボル(男根)を連想するが
子孫繁栄という庶民の願いを形にした物であろう
スサノオノミコトは 祇園信仰の祭神
牛頭天王と結びついて天王信仰に重なり
西の京都八坂神社
東の尾張 津島神社が 日本ニ大天王社として
全国に沢山の分社を持ち
其の信仰は今も盛んです
昔(江戸時代元禄の頃)は
小さな四角柱に「ソミン」
と記された簡素な物だったらしいが 
この形が. 好いと勝手に納得しています
伊勢の蘇民将来

伊勢 おかげ横町内の神具屋さんで見つける

伊勢地方では
お正月のしめ縄に「蘇民将来子孫」「笑門」の
札を付けた物を 一年中
門口に掲げてあります
佐野土鈴の蘇民将来

相沢市太郎(栃木県)





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