2008/01/09

尾張の郷土玩具


起土人形



招き猫

干支 天下泰平


一宮市富田(旧・尾西市富田)にて 
天保年間あるいは明治の初年に 名古屋で製作技術を習得した陶工が
この地で創始したといわれる
犬山の影響を多く受け 棚尾人形より学んだ歌舞伎外題物が多く作られた
特色は 型が扁平でレリーフ状であることにより 安定感がいささか乏しく
金や銀を多く使った光沢のある彩色は この地方の好みを反映したものと思われ
現在も 先代の中島一夫さんの妻 一子さんが少しずつではあるが製作されている

詳しくは 起の土人形へ 

なお
岐阜 美江寺の蚕鈴も
中島家で製作されていたが
現在は納められていない






犬山土人形(廃)



安倍貞任


恵比寿


童子武者


江戸時代 文化文政の頃から伏見人形を模倣し製作が始まり
白い粘土で張子のような薄手の造りで
非常に軽く明るく淡い彩色に特徴がある
また 彫りが浅い為 人形の表情など
彩色による表現にその力点が置かれ
自由でのびやかな土人形として作られている
変化に富んだ軽妙な構図と 生き生きとした表情に他にはない魅力がある
最盛期は明治二十年頃で 昭和の初期にほぼ廃絶した





犬山 南強土鈴と血達磨(廃)



血達磨土鈴


山頭火土鈴


雛土鈴


かつて 犬山市の木曽川に架かる犬山橋の近くに
前田宝玉堂というお店が在りました
30年近くも前の定かでない記憶なのですが お土産屋さんだった様な・・
郷土玩具らしき物も沢山置いてあったような気がします
たしか ここで でんでん太鼓とか 紙つばめ 叩きゴマなども手に入れたはず
其処で 見つけたのが 小さな達磨 血達磨というものでした
その重く沈んだ色に妙に惹かれて 雛土鈴一組と共に一つだけ購いました
なんて事のない達磨さんなのですが 小さいながらも強烈な存在感が在ります
この作者が 前田南強さんでした
その時 お会いしていたかどうかもはっきり思い出せない曖昧さですが
今 現在ではお店も無く 記憶をたどる術もありません
南強さんも亡くなられているので
残った小さな達磨で偲ぶ事しか出来ませんが
各地の お土産土鈴を製作されていたとのことで
今となっては 探し出す事も 楽しみの一つです





犬山 でんでん太鼓


最下部に取りつけてある竹笛を吹くと
風車が回転して 風車の心棒に取りつけられた
紙人形も回転する
紙人形の肩に取り付けられた糸の先の豆が
横の太鼓を叩くからくり玩具
このからくりは一体誰が考えたのか驚嘆に値する
先人の知恵に脱帽してしまう 実に楽しい夢のある玩具です





犬山 叩きゴマ



竹の先に少し太めの紐をつけ その鞭(?)で
独楽を叩いて廻すという 昔からの玩具
簡単なものではあるが その素朴さゆえに何故か懐かしさを感じる
今となってはこのようなおもちゃで遊ぶ子供もほとんどいないでしょうが
遊びの伝承のためにも伝え残しておきたい玩具です

犬山の風車

かつて販売されていた 犬山の郷土玩具色々






犬山寂光院 紙つばめ(廃)


継鹿尾山 寂光院の縁日に紙つばめが売られていました
頭の所にブリキの小さな円盤のついた竹串が胴体を通り
背の所に結ばれたタコ糸を舞わすと
ヒューッと言う音と共に尾が風で回り 
あたかもつばめが空を飛んでいるような
観がある素朴で軽快なおもちゃです
お寺で声をかけて聞いてみたところ作られていた方が亡くなり
作ってあげるというもうひとりの方も 
材料集めが大変のうえ ご病気で現在出来なくなっているとの事です
お寺自体にも一羽しか残っていなくて 
残念ながら分けてあげられないとのことでした

最近、売られているよとの噂を聞いて
桃太郎公園の中の レストランで 手に入れたものです

【犬山寂光院】 

愛知県犬山市継鹿尾山






津島神社 蘇民将来


日本二大天王社として 西の京都東山の八坂神社と共に
東の総本社である尾張の津島神社(津島牛頭天王社で恒日授与されている
貧しい蘇民将来と弟の巨旦将来が神(スサノオノミコト)の訪問を受け
すげなく追い返した弟は滅び 貧しくとも温かく迎えた蘇民将来に
「汝の子孫は門口に〈蘇民将来之子孫也〉と掲げれば 禍を除き福を与える」と約し
蘇民将来の子孫は繁栄したという説話に基づいている
この護符は元禄の時代にはすでに授与されていたようで
昭和30年くらいより 現在の六角錐の物になった
一説によると 男根を形どった祝い棒系統のものとも云われる
他に 授与品として流し込みの干支土鈴があるが
門前の土産物店で売っている 
津島祭りの様子の描かれた団扇も昔からのもので
中々風情のあるものである

【津島神社】 

愛知県津島市神明町1






甚目寺 ふり太鼓(廃)


尾張四観音(笠寺観音・龍泉寺・荒子観音)の筆頭 鳳凰山甚目寺
597年に漁師が 門前まで海だったこの地で
海中から観音像を拾い上げて祭ったのが始まりという歴史を持つ
「全国一の高さ」を誇る三重の塔もある
この甚目寺観音の塔頭の一つ大徳院に祭られる
恵比寿大黒の手摺りお札を受けた参詣客に
四万四千日とか九万九千日の法要の際 太鼓の曲打ち
大神楽が奉納される その折の大太鼓にちなんだ玩具が
子供の慰みにと売られていた
大小さまざまなものがあった様に記憶しているが
現在手元には 直径30センチほどのものが一つ残っているだけである
紙貼りの太鼓の両面に恵比寿大黒の宝珠が描かれ
その周囲に 赤と金色の紙飾りが張られている
胴の中に小豆粒が入っており 振るとガラガラ音がする
お寺の近くの八百屋さんの宮崎松重が作られていたという話である。

現在 売られている物です
【甚目寺観音(鳳凰山)】

海部郡甚目寺町大字甚目寺字東門前24








尾張一宮授与 おん馬(廃) 神鈴 犬張子



おん馬(廃)


戌張子


い寿ゞ


おん馬土鈴


一宮市の 尾張一宮 真清田(ますみだ)神社で授与される
4月3日の桃花祭に勢ぞろいする飾り馬を模したもので
白馬の鞍に 御幣を立てて 
おみこしと一緒に神社からお旅所まで練り歩く
起土人形の作であるが現在は授与されていない
い寿ゞは 四日市の藤井陶楽製
こちらは大型の物と 小形のい寿ゞと飾り馬の土鈴のセツトで
素焼きの彩色のされていないものであるが
高音のの澄んだ音色のする土鈴が
現在も授与されている
他に 犬張子も大小2種あるが
熱田で売られているものと同じものである

尾張一宮 真清田神社

愛知県一宮市真清田1丁目2−1






尾張大國霊神社(国府宮) 授与品



破魔矢


大鳴鈴


大鳴鈴


尾張地方の國霊神(くにたまのかみ)で 総鎮守神、農商業守護神、
厄除神として広く信仰されており
奈良時代 尾張国の総社とされ 国司自らが祭祀を執り行う神社として 
「国府宮」と総称し広く知られています

儺追神事(なおいしんじ)
旧暦正月13日に はだか男達が神男に触れようと揉み合う
勇壮なお祭として良く知られてい.る
国府宮のはだか祭」は
その起源は古く 称徳天皇の勅命により
悪疫退散の祈祷が全国各地の国分寺で行なわた際 
尾張国司が祈願したのに始まると伝えられています
現在の裸で揉みあう様になったのは 江戸時代の末からで
本殿において神男(しんおとこ)が参列し「儺追神事」を斎行し
拝殿の外では近隣各地区からの はだか男達の集団が
次々と「なおい笹」を奉納します
その後手桶隊が登場し、はだか男達をめがけて水をかけます
神事の最中 神男は全身無垢の姿で
参道に群がっているはだか男達の中に飛び出します
はだか男達は 神男に触れる事で自分達の厄災を祓うことが出来るので
一斉に神男に殺到します 
人々の厄災を一身に受けた神男が 
儺追殿に納まった後 神事が終了致します
翌午前3時 夜儺追神事が執り行われ 儺追神事の本義であるこの神事の中で
ありとあらゆる罪穢をつき込んだものとされる土餅を背負わされた神男を 
神職が大鳴鈴(おおなるすず)を振り鳴らしながら追い立て境外へ追放し終ります

この土鈴は 南北朝から室町時代の作といわれる
儺追神事に用いる鉄製の大鳴鈴を模して作られたものです
現在は 授与されていません

現在は 儺追布と破魔矢が 恒日、授与されています。

尾張大國霊神社
(国府宮)






参考文献

郷土玩具辞典 斎藤良輔編 東京堂出版
名古屋土人形 中島芳美著 
東海の郷土玩具 亀井鑛著 中日出版社
日本の土鈴 森瀬雅介・斉藤岳南著 徳間書店
土人形 鈴木良典コレクション 豊橋市美術博物館
 日本の土人形 俵有作編 文化出版局
日本の郷土人形 京都府立総合資料館
全国郷土玩具ガイド 畑野栄三著
天神さん人形 木村泰夫著 日貿出版社
なごや地方の郷土玩具 名古屋観光推進協議会