2020/08/13
子供が二つに割った饅頭を、両手に持っている立像で 父母のいずれが好きかと問われた際 その童子が饅頭を二つに割ってどちらが美味しいか 反問したという教訓話に取材した物です 子供が利口になるまじないや、安産祈願に奉納されたりした 自分も両親を無くして親のありがたさを改めて感じました この小さな人形が忘れてはいけない物を 教えてくれていると感じざるを得ません 饅頭喰い人形の発祥について 郷土玩具文化研究会の例会にて 勉強する機会を得ましたので 簡単に紹介させていただきます 饅頭喰いは 狂言の台本集 『狂言記外篇』に 収録されているもので その物語の内容は 都の饅頭売りが 田舎者に騙されて 売り物の饅頭を 自分でみんな食べてしまうという話で 現在の饅頭喰い人形の逸話とは全く違うものです 落語の 『饅頭こわい』も原典は 中国からですが これもお話は全然違うものです ただ この饅頭喰いの逸話が 禅的な反問で 頓知を示した時代風刺の伝説であるとすれば 饅頭喰い人形と重なり合う部分もあるかと思われます 饅頭喰い人形は すでに江戸時代の文政年間には制作されていましたが もともとは 商売繁盛 千客万来を祈願する人形の一つとして 他の童子物の人形と同じ扱いをされていたようです 明治七〜八年ごろ 大阪錦絵新聞に取り上げられ 大阪新聞 東京日日新聞で紹介されています 関西で大流行してのち 子育て健勝祈願の信仰へ変化し 明治三〇年頃には 明治の時代背景の中で 寺社での子授け祈願や 健勝祈願の人形として 定着したものと思われます 新聞によって 饅頭喰い人形の謂れが広められ 世間に認知されたものとは思いませんでした 常識というものは 案外こういう形で作られていくものかもしれません |
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左から 信州中野土人形 名古屋土人形 伏見人形 |
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戦前の作品 |
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戦後と戦前の物で比べてみました どちらも先代の文蔵氏の作で この大きな饅頭喰いにはもみあげに黒糸が植え付けられています |
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相良土人形(山形県米沢市)制作者の相良家に因み 相良人形といわれています 江戸時代 安永年間 米沢藩主上杉鷹山が 領内の産業奨励に着手し 相良清左衛門に命じ製陶所を設け たのが始めといわれています その後 相馬にて製陶法を習得し 地元成島に窯を築き 相馬焼を完成しました 作品は 「伏見七分に堤三分」といわれ 伏見人形の技法を取り入れ 堤人形の影響を受けながら 彩色に紅花を用いたりして独自の土人形として 自ら相良人形と名づけ 代々伝承されました 戦時中の昭和十八年 一時途絶え 六代目 清氏も昭和四十一年に亡くなり 廃絶となりましたが 翌四十二年より現在の七代目隆氏によって 製作がつづけられています |
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佐土原の左前の饅頭喰い人形について偶然にも 佐土原土人形の左前襟の饅頭喰い人形を手にしました |
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変わり饅頭喰い人形
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大浜土人形愛知県碧南市 禰宜田徹 明治25・6年ごろ美濃部四市によって始められたが 四市が日露戦争に従軍し戦死したので兄の泰作が後を継いだ 大浜土人形も棚尾と同様に 歌舞伎外題物が大半を占めているが 棚尾と比べて 色彩が明るく 一段と華やかである 一方 禰宜田佐太郎は一度も師に付くことなく 自らの創意工夫で人形作りを開拓し 武者物を得意とし 組み物の多い尾三の土人形のうちでも 賤ヶ岳 加藤清正と山路将監正国(四方田但馬守)の 大物にいたっては他の追随を許さない 佐太郎の死後は 章が後を継ぎ 一時製作を中絶した事もありますが 再び開始して 三河唯一の作者として大浜土人形の声価を高めました 彰亡き後 現在は その二男の禰宜田徹さんが 遺された型 作品 そして新たに型起しした物 他産地の作品など さまざまな人形を 勉強 研究され 三河大浜の伝統を引き継ぎつつ 唯一三河に残された現代の土人形として 製作に励まれています |
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禰宜田さんが新たに型起しされた創作の饅頭喰い人形です | |||||||||||||
稲畑土人形 |
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兵庫県丹波市氷上町 赤井君江 この地は 古くより良質の粘土に恵まれ古丹波焼の産地として知られています 江戸時代 弘化3年 初代赤井若太郎忠常が 京都の 伏見人形を学び作りはじめたのが起こりとされています その後この地域で農閑期の副業として奨励ししました 丹波地方は 初節句に天神や土人形を贈る風習があり 安価で手に入りやすいこの土人形は 最盛期の明治時代には8軒ほどが土人形を製作して最盛期を迎えました 、戦後時代の推移とともに衰退 現在は赤井家だけがその命脈を保っています ここの土人形の特色は 土に植物性の繊維を練りこみ 乾燥させた物に彩色する製法で 焼かれません 其のため生土人形とも呼ばれています 近年 兎の土人形が年賀切手に採用されています |
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京陶人形京都市 豪勝京都の代表的なお土産である 京陶人形の饅頭喰いさんです 明治22年創業の「豪勝」で ルーツともいえる伏見人形に因み 20年ほど前より製作されている 小ぶりで 愛くるしい 土鈴になった京陶人形です |
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すくすく人形滋賀県の三井寺園城寺で毎年5月16・17・18日に境内の護法善神堂の鬼子母神を開帳し 千の団子を供え 安産や子供成長を願うお祭りが おこなわれてきました その際参詣者が土人形を奉納する習慣がありました 戦後その風習は無くなってしまったのですが 近年 かつて奉納された人形が発見されました 平成19年より仏像を修理している仏師により 古い人形の原型が作られ 頒布されるようになりました お寺では 饅頭喰いとは呼ばず 饅頭童子といわれています お饅頭を持つこの人形は 困っている人を助けてあげられるようにという 願いが込められているといわれています 意味合い的には 一般的な饅頭喰いとは 違うようにも思えますが 人形に対する思い 愛 考え方ははそれぞれ それで良いものかと・・・・ |
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新しい創作饅頭喰い人形 |
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備中張り子倶楽部
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とてもとぼけた雛土鈴 | 猫土鈴 そして 我が家の飼い猫 多楽幸(たらこ)土鈴 とても気にいっています |
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アンパンマン土鈴愛知県名古屋市の 趣味家 中根さんの作品です正義の味方 アンパンマンが饅頭を持っています アンパンマンは 人を区別することなく 誰でも公平に助けてくれます バイキンマンだって助けちゃうかも まさしく アンパンマンは饅頭喰い人形と 相通じる心の持ち主です |
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