2009/07/05

饅頭食い人形

子供が二つに割った饅頭を、両手に持っている立像で
父母のいずれが好きかと問われた際
その童子が饅頭を二つに割ってどちらが美味しいか
反問したという教訓話に取材した物です
子供が利口になるまじないや、安産祈願に奉納されたりした
自分も両親を無くして親のありがたさを改めて感じました
この小さな人形が忘れてはいけない物を
教えてくれていると感じざるを得ません

饅頭喰い人形の発祥について
 
郷土玩具文化研究会の例会にて
勉強する機会を得ましたので 簡単に紹介させていただきます

饅頭喰いは 狂言の台本集
『狂言記外篇』に 収録されているもので
その物語の内容は 都の饅頭売りが 田舎者に騙されて
売り物の饅頭を 自分でみんな食べてしまうという話で
現在の饅頭喰い人形の逸話とは全く違うものです
落語の 『饅頭こわい』も原典は 中国からですが
これもお話は全然違うものです
ただ この饅頭喰いの逸話が 禅的な反問で
頓知を示した時代風刺の伝説であるとすれば
饅頭喰い人形と重なり合う部分もあるかと思われます

饅頭喰い人形は すでに江戸時代の文政年間には制作されていましたが
もともとは 商売繁盛 千客万来を祈願する人形の一つとして
他の童子物の人形と同じ扱いをされていたようです
明治七〜八年ごろ
大阪錦絵新聞に取り上げられ 
大阪新聞 東京日日新聞で紹介されています
関西で大流行してのち 子育て健勝祈願の信仰へ変化し 
明治三〇年頃には 明治の時代背景の中で
寺社での子授け祈願や 健勝祈願の人形として 
定着したものと思われます
新聞によって 饅頭喰い人形の謂れが広められ
世間に認知されたものとは思いませんでした
常識というものは 案外こういう形で作られていくものかもしれません

左から  信州中野土人形 名古屋土人形 伏見人形


菱屋製


丹嘉製
伏見人形の饅頭食い

原型は総て伏見からである
伏見人形が、
伏見稲荷の土産として
各地へ運ばれ
地方地方で其れを元に、
それぞれ味付けがなされ
個性的な各地の土人形として、
発展した
 
 NHKの朝の連続テレビ小説
 あすか (11年10月4日〜12年4月1日
 (確か京都を舞台にしたお菓子職人のお話)
 おばあちゃんの枕もとに、何時も飾ってあったのが
 この人形と同じ 彩色のものでした。
  
 
 


 型込  素焼  下塗   絵付
名古屋土人形の饅頭食いは
顔の形が横長で 童子の表情が愛らしい
知多半島の新舞子に【人形塚】が在り
この人形を象ったおもちゃ像が立っている
野田末吉さんが作られたこの人形は、
私の集めた物の中でも、好きな物の一つです
伏見の洗練された端正さも良いのですが
名古屋のとぼけた味も棄てがたい
 
  

戦前の作品
   

新舞子人形塚
 
  小幡人形(滋賀)の饅頭喰い
先代の文蔵さんの作です
オレンジ色の着物を着た人形ですが
うっかり 手を滑らせ首を落としてしまいました(悲)
何とか接着剤でくっつけましたが
おっちょこちょいなものでもったいない事をしました
土で出来たものを
落とせば当然割れるということを
あらためて実感しました
親も同様 亡くしてからでは親孝行は出来ません
自分も 人や物を大切にしなければならないという
根本的なことを忘れている現代人に
なってしまったかと 猛反省です
  
戦後と戦前の物で比べてみました
どちらも先代の文蔵氏の作で
この大きな饅頭喰いにはもみあげに黒糸が植え付けられています 
 






     信州中野土人形の饅頭喰い
京都の伏見人形を原型として 
百数十年前に始まり
近隣の雛市で売られてきた
童子(ボコ)を主題としたものが多く
節句飾り人形が主で
童子物に優れたものが多い

本来は 饅頭喰い人形ではなく
立童子の様です
現在この人形の手の部分に
饅頭をつけて 
あらためて饅頭喰い人形として
作られました

由紀夫さんのアイデアで
新しい饅頭喰い人形が作られました
黄色い帽子をかぶり ランドセルを背負った
新一年生の女の子
足元の丸い台座は土鈴仕様になっています
おじさんがそのお饅頭頂戴なんていったら
危ない人だと後ろ指をさされそうです
入学時期にぴったりの饅頭喰いさんです

変わり種は 指輪仕様の饅頭喰いさん
大きなお饅頭を持ったぼくちゃんが
サイズ不明の指輪に張り付いています

由紀夫さんは 結婚されて お子様も誕生されたとか
まさしく 幸せの中での指輪とランドセルなんでしょうね
あったかいんだからあ〜〜〜〜〜
 
 

相良土人形(山形県米沢市)


制作者の相良家に因み 相良人形といわれています
江戸時代 安永年間 米沢藩主上杉鷹山が
領内の産業奨励に着手し 
相良清左衛門に命じ製陶所を設け
たのが始めといわれています
その後 相馬にて製陶法を習得し 地元成島に窯を築き
相馬焼を完成しました
作品は 「伏見七分に堤三分」といわれ
伏見人形の技法を取り入れ 堤人形の影響を受けながら
彩色に紅花を用いたりして独自の土人形として 
自ら相良人形と名づけ 代々伝承されました
戦時中の昭和十八年 一時途絶え
六代目 清氏も昭和四十一年に亡くなり 廃絶となりましたが
翌四十二年より現在の七代目隆氏によって
製作がつづけられています 
  
尾崎土人形(佐賀県)の饅頭喰い

神崎という地は 古く鎌倉時代 
元寇の役で捕虜になった中国人より伝えられたと言う窯業地で
瓦や鉢類を焼く傍ら 人形が製作されました
廃絶と復活のすえ
現在尾崎人形保存会 の高柳氏により製作されています
赤坂土人形とも相通じる 素朴な野趣に富む人形です 

何とも困った顔をしたような人形です
何でそんなこと聞くのかなぁ〜〜
とか
本当はお母さんが好きなんだけど
と 言いたいのになぁ
何ちゃって
 
佐土原土人形(宮崎)の羊羹喰い
安政年間(1854〜59)から作られてきたという
古くからの土人形の産地である
伏見人形の型と類似のものが多く見られるが
饅頭喰い人形が羊羹喰い人形となっている
佐土原独得の明るさ おおらかさがあり
南国九州の面影が人形にも伝えられている
 

佐土原の左前の饅頭喰い人形について

偶然にも 佐土原土人形の左前襟の饅頭喰い人形を手にしました
最初は 全く気が付きませんでした
何体かの饅頭喰い人形と並べてみた時に 
なぜか違和感を感じて
あらためて眺めてみて 気がつきました
左前なのです
日本では普通 着物の場合は右前です
なぜこのような人形が作られたのか不思議でなりません
伏見にある 友引き人形のようなものなのかとも思い
アレコレ考えたのですが 判りません
詳しい方に伺ったところによりますと 
朝鮮の服装からきているとの事です
佐土原には高麗町という地名が残っているとうり 
かつて 島津豊久が 朝鮮の役から帰還した折
連れ帰った高麗人が移り住んだ町があり
その高麗人が 故郷忘れ難く 
戯れに人形を作ったのが起こりだそうです
朝鮮では 服の前合わせが 右か左か判りませんが
伏見人形の型を受け継いで作られた人形が
男の子から女の子に変わり 
作られている佐土原の饅頭喰い人形
その伝統の中に
遠く異国の故郷を想う心も秘められていたようです



 
旭土人形の饅頭喰い
旭土人形の高山さんにお願いしていた饅頭喰いです
小幡人形を 持ち込んで 今まで三河にはなかった
饅頭喰いを作っていただくようにお願いしてみました
高山さんのイメージで作って下さいと
全てをお任せしていたので
出来上がりが楽しみでした
まさか男女ペアの
饅頭喰いが用意されているとは
思わなかったので
少々驚きましたが
絣の着物を着せてもらった男の子と
赤いべべの女の子
自然と顔がほころんでしまいました
おひな様飾りに
もぴたりじゃないかと思っています
    さらに、特大の饅頭喰いも
お願いしたところ
一升瓶と同じ大きさのものも
作っていただきましたら
赤塚不二夫の天才バカボン
の様になってしまいました
 
名古屋の野田さんの
饅頭喰いの型で作られた
饅頭喰い人形より

さらに型を抜いて 
高さ約9.5センチの可愛い
饅頭喰いです
高山翁自ら型起をされたもので
色々なバージョンが
作られるようになりました

 変わり饅頭喰い人形

  

  
 

 大浜土人形



愛知県碧南市 禰宜田徹

明治25・6年ごろ美濃部四市によって始められたが
四市が日露戦争に従軍し戦死したので兄の泰作が後を継いだ
大浜土人形も棚尾と同様に 歌舞伎外題物が大半を占めているが
棚尾と比べて 色彩が明るく 一段と華やかである
一方 禰宜田佐太郎は一度も師に付くことなく
自らの創意工夫で人形作りを開拓し
武者物を得意とし 組み物の多い尾三の土人形のうちでも
賤ヶ岳 加藤清正と山路将監正国(四方田但馬守)の
大物にいたっては他の追随を許さない
佐太郎の死後は 章が後を継ぎ 一時製作を中絶した事もありますが
再び開始して 三河唯一の作者として大浜土人形の声価を高めました
彰亡き後 現在は その二男の禰宜田徹さんが
遺された型 作品 そして新たに型起しした物
他産地の作品など さまざまな人形を 勉強 研究され
三河大浜の伝統を引き継ぎつつ 
唯一三河に残された現代の土人形として
製作に励まれています
 
 禰宜田さんが新たに型起しされた創作の饅頭喰い人形です
 
 

稲畑土人形

 
  
 
兵庫県丹波市氷上町 赤井君代

この地は 古くより良質の粘土に恵まれ古丹波焼の産地として知られています
江戸時代 弘化3年 初代赤井若太郎忠常が
京都の 伏見人形を学び作りはじめたのが起こりとされています
その後この地域で農閑期の副業として奨励ししました 
丹波地方は 初節句に天神や土人形を贈る風習があり
安価で手に入りやすいこの土人形は
最盛期の明治時代には8軒ほどが土人形を製作して最盛期を迎えました
、戦後時代の推移とともに衰退
現在は赤井家だけがその命脈を保っています
 ここの土人形の特色は 土に植物性の繊維を練りこみ 乾燥させた物に彩色する製法で
焼かれません 其のため生土人形とも呼ばれています
近年 兎の土人形が年賀切手に採用されています
 

京陶人形

京都市  豪勝

京都の代表的なお土産である
京陶人形の饅頭喰いさんです
明治22年創業の「豪勝」で
ルーツともいえる伏見人形に因み
20年ほど前より製作されている
小ぶりで 愛くるしい 
土鈴になった京陶人形です
 
 
 

 すくすく人形

 滋賀県の三井寺園城寺で毎年5月16・17・18日に
境内の護法善神堂の鬼子母神を開帳し
千の団子を供え 安産や子供成長を願うお祭りが 
おこなわれてきました
その際参詣者が土人形を奉納する習慣がありました
戦後その風習は無くなってしまったのですが
近年 かつて奉納された人形が発見されました
平成19年より仏像を修理している仏師により
古い人形の原型が作られ 頒布されるようになりました
お寺では 饅頭喰いとは呼ばず
饅頭童子といわれています
お饅頭を持つこの人形は 
困っている人を助けてあげられるようにという
願いが込められているといわれています
意味合い的には 一般的な饅頭喰いとは
違うようにも思えますが
人形に対する思い 愛 考え方ははそれぞれ
それで良いものかと・・・・
 
 
 

新しい創作饅頭喰い人形 

 
 

愛知県半田市 楽猫庵

野田さんの小さな饅頭喰いの型で
楽猫庵さんに製作をお願いしました
丁寧で細かい彩色をして頂きました
とても可愛く出来て
野田さんもびっくりかもしれません
もちろん野田さんとは違う味わいで
明るく あったかみのあるほのぼの感いっぱいです
言ってみれば 今風かな
もっともそういう私が古いので
どういっていいものかしら わかりません
むちゃ 好きなタイプですよ〜〜〜
 
名古屋の小さい饅頭喰いの型から
作っていただきました 
ち一さな小さな 饅頭喰いさんです サイコロの上に乗っているけど
ころがしてはいけません 

備中張り子倶楽部
海老天たまこさんの饅頭喰い人形


独特の個性的な土鈴をたくさん作られています
伝統的な産地にはない とびぬけた個性が光る作品です
どちらかというと 漫画の世界から飛び出したような二等身キャラが
飛び回っているかのような印象の明るいイメージです
常識から少しかけ離れた発想が他に例を見ない楽しい作品です
どんなものが飛び出してくるか
お楽しみの期待を裏切らないない面白い饅頭喰い土鈴です


   
 とてもとぼけた雛土鈴  猫土鈴

そして 我が家の飼い猫
多楽幸(たらこ)土鈴
とても気にいっています
 

アンパンマン土鈴

 愛知県名古屋市の 趣味家 中根さんの作品です
正義の味方 アンパンマンが饅頭を持っています
アンパンマンは 人を区別することなく 
誰でも公平に助けてくれます
バイキンマンだって助けちゃうかも
まさしく アンパンマンは饅頭喰い人形と
相通じる心の持ち主です
 
 
 
 
   初瀬出雲人形(奈良県桜井市)
この人形は 一見 饅頭喰い人形のように見えますが

初瀬出雲人形には 饅頭喰い人形といわれる型はなく
立ち童子として作られています(水野佳珠さん談)

手に 何かを握っているようにも見えるので
饅頭喰い人形と勘違いをしてしまいます

焼度が低くて質が脆く 絵の具も粗悪で
手荷物と指に色がつき剥げやすい
このため「ベト人形」等とも呼ばれていましたが
粗悪品であるというよりも
初瀬の特色として考えた方が良いと思いますが
この特色は 水野徳蔵翁の時代だけの
ものかもしれません 真偽の程は判りません








名古屋型饅頭食い人形の部屋


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