2006/06/18
発祥の時期も創始者も判然としないが
明治初年御器所七本松の伊藤友松によって 始められたと云われるのが定説になっているが
実際はもっと時代を遡らせても良いと考えられている
明治三十年頃 十数人の製作者が競い合って最盛期を迎えた
太平洋戦争で壊滅的な打撃を受けて 野田家のみが戦後も製作を続けていたが
平成元年 最後の製作者 野田末吉氏が亡くなり廃絶した
野田末吉氏の群細は 名古屋土人形Uへ
名古屋市守山区 松洞山大行院の龍泉寺参道で売られた縁起物
一月の初観音から節分には 尾張四観音で毎年恵方を定め巡回しているので
昔から参拝者で大いに賑わっている
首馬は竹串に刺した紅白に彩られた馬の首の張子細工で
観音菩薩の変化した馬頭観音にあやかってのものと思われる
春駒 笛馬 串馬など色々な種類があったようだが
現在は 残念では在るがどれも製作されていない
長さ20センチほどのもので 子供が手にして愛玩するには程よい大きさである
かつては 山門脇で首馬などが売られていた
名古屋市南区 笠寺観音の参道で売られていた縁起物
作者は戸部の蛙やわら馬を作られている青山かいさん
実際にお会いした事はないのですが 娘さんの角谷静枝さんが現在も
名古屋でも数少ない郷土玩具の製作者として頑張ってみえます
戸部の蛙は 全国でも珍しい陶器の郷土玩具で
長崎の舌だし猿と2種しかないそうです
400年以上前の話し 笠寺観音に程近い戸部の郷に新佐衛門という武士がいて
近在の村人に非道なふるまい多く 行列の前を横切ったと言っては無礼討ちにするなど
目に余り 手をこまねいた村人達が一計を案じて
新佐衛門の行列の前に蛙を投げ 飛び跳ねる蛙にきりきり舞いするのを見て
「山崎超えたら飛べ(戸部)飛べかえる」と囃し立て
暴慢な武士階級への鬱憤を晴らしたといわれる
この話を元に 瓦職人が手ひねりで戸部の蛙を作った
現在は 蛙の胴の部分は型で目玉と手足を貼り付ける方法に代わっている
【笠覆寺(笠寺観音)】 名古屋市南区笠寺町上新町83番地 |
藁馬も 全国的に見ても遜色ない出来のもので 土 張子 藁と行った素材の郷土玩具が 一人の作者(角谷静枝さん)によって 現在も作り続けられているのは本当に嬉しいことです |
桶狭間の戦いの直前に笠寺観音の八幡山で合戦があり
昭和10年ごろまで毎年五月五日に
それを記念して笠寺七ヶ村の子供達が集まり
竹と紙で作った大きなかぶとを取り合い
最後までかぶとを守った村が勝利をしめるという祭りがおこなわれた
さらに 同じく七ヶ村の青年達も馬祭りをして
それらの行事の記念に創られた物といわれる
春の初めを祝した張子の首馬で
「一年中の福の神 カッコメ カッコメ 春駒馬」
と 縁起の良い歌と共に節分の日に参道で売られ
飛ぶように売れたといわれる
龍泉寺の首馬に比べ 鼻先がやや細く造られており違いが判る
竜泉寺の首馬とほぼ同じ様だが
こちらのものの方が端正な感じがします
夫婦が馬の様にまめで跳ねて
一年中丈夫で働けるように祈願したもので
2頭の藁馬の首をセットにして
「カッコメ カッコメ」と 福をかき込むように祈り
神棚や門の両側に差し祈念する
笠寺観音の傘の印刷の入った白紙に包まれて売られている
古くから 蘇民将来と五色鈴 申曳きの馬絵馬などが有名である
五色鈴はこの神社の境内にある銀杏の神木の実(銀杏)を形どった物で 銀杏の形をした素焼きの土鈴(藤井陶楽製)を 朱 黄 青 緑 白に彩り紙縒りを通して一連にし 護符を結んで 厄除け 無病長寿の神鈴として授与される 各地の寺社で授与される土鈴の中でも由緒あるものに数えられている 素朴で小さな物であるが味わい深い土鈴である |
蘇民将来は 八日堂や津島神社などの六角柱のものではなく門標型で
神札そのものの形で 玄関等に掲げられるようになっている
手書きで描かれた申曳きの馬絵馬は
白馬(神が宿る)を猿(すなわち猿田彦ノ尊)
が導いている姿をあらわしたものです
【洲崎神社】 名古屋市中区栄 1−31−25 |
初夢に見て縁起が良いのは 一富士 二鷹 三茄子 といわれます
初夢土鈴の謂れは 徳川家康の好みの三品を集めたものといわれ
富士山は萬人の第一に仰ぐ名山
鷹狩は平時武士の訓練を兼ねて民の辛苦を探る方便
茄子は食膳に供しその質素さを願わせしめる
これを踏まえて家康という英雄を偲び
東照宮に詣でて初夢に霊威して幸運を得られる様にと
年間を通じて3個セットで授与されています
【名古屋東照宮】 名古屋市中区丸の内2−3 |
由来は 沼の中から7つの尾を持つ亀が天神様を乗せて浮かび上がって
その像を安置した事に始るという
おめでたい生き物に乗っているのだから
不自然さはまったく感じないが亀に乗った天神様は珍しい
かつては名古屋土人形の野田さんの淡黄色で彩られた土鈴でしたが
現在は 藤井陶楽製のものが授与されています
(野田製のものでも 趣味家の注文による一部彩色されたものもありました)
【七尾天神社】 名古屋市東区白壁2−28−19 |
名古屋大須天寧寺で授与されており 土鈴になったものと絵馬とがある
どちらのものも雌雄一対で授与される
いわれは織田信長が子息の無事成長を祈願し奉納された事に始まり
雄雌一対の鶏は子息が夜よく熟睡し 鶏の鳴き声と共に目覚めるという
健康を祈念したものである
願望祈願で雄鶏を奉納し 雌鶏は家庭で祀り
その願望が成就した時に雌鶏を奉納する
文化10年(1813)10月 名古屋の舟 督乗丸(千二百石積み)は
江戸からの帰途 台風に出あい 以来17ヶ月太平洋を漂流し
生き残った船頭重吉と水夫ふたりは英船に救われ
メキシコ アラスカを経てロシアへ連れられ 更に約一年の後に択捉島へ送り返され
出帆より5年目に名古屋へ帰りつく事が出来た
重吉は 戦中で没した水夫達の諸霊を慰める為
督乗丸をかたどった舟形の台石の供養碑を建てた
困難と闘い 生還を全うした重吉の不屈の船員魂にあやかり
また 水夫諸霊の加護を求めて渡海の安全を願うものも多く
厄除けと海のみならず陸空の交通安全のお守りとして
起土人形・中嶋家にて製作され 頒布されている
織田信長が天文7年(1537)京都・北野天満宮より
菅原道真の木像を遷座し祀ったのが創祀といわれている
かつては桜の木が群生していたことから「桜天満宮」と呼ばれたという
鷽替え神事が 毎年一月二十五日に一年中の嘘を真に取替え
罪を滅するため また 開運出世をさずかると信じられて
家運隆盛を祈願し各地の天神社で行われる
この桜天神では白い円筒形の土製の鷽が授与される
全国的にみても土製のものは珍しく その年の干支が浮き彫りになっており
大正4年 土地の信仰者により創始され 形は亀戸のものに倣ったという
桜天神社 愛知県 名古屋市中区錦2-4-3 |
名古屋市中村区岩塚にある七所社で
旧正月17日に行われる 『きねこさ祭り』 当日神社より
笹に付けられて 授与される
役者といわれる厄年の若者12名(子供二人含む)が 庄内川で行うみそぎの神事がみどころである 写真をクリックすると みそぎ神事の様子が うかがい知る事が出来ます |
「きねこさ祭」の名前は 祭りに使用する祭具の杵と こさ(杵か らこすり落とした餅の意)に由来し 役者のもつ祭具に触れることにより厄除けが出来るとされる この所作に使われる杵・こさ・種つぼを模った玩具である |
神社で頒布される練物製のものと別に 起土人形の中島製のものが在るが 起のものは趣味家の依頼で作られたもので 現在では作られていない |
【七所社】 名古屋市中村区岩塚町上小路 |
神鈴・ 初宮鈴・巻藁鈴・厄除の三つ鈴が常時授与されています
ただし 常には、厄除の三つ鈴しか見本に出していないので
授与所へ 声をかけて下さいとのことです
巻藁鈴は守護矢に取り付けて授与されている物もあります
初恵比寿大熊手の大神鈴は 熱田神宮神宮境内南端に鎮座する 上知我麻神社(かみちかまじんじゃ)の境内の 大黒様・恵比須様を祀る大国主社(おおくにぬししゃ) 事代主社(ことしろぬししゃ)のお祭りで 「五日えびす」とも云われ 午前零時から行われます このお祭りでご神前に供えられた初えびす (商売繁盛・家内安全)のお札を授かろうと 多数の参拝者が我先にこれを受けようと ひしめきあう様はまさに壮観です |
全て 四日市の藤井陶楽製で素焼きの感触を生かした 涼やかな音色が特色です
他に 干支の一刀彫 破魔矢などが 授与されています 写真は 昔 授与されていた 獅子頭です |
獅子頭 |
【熱田神宮】 名古屋市熱田区神宮1-1-1 |
明治14年ごろから始まったといわれている
名古屋土人形の野田末吉の親戚にあたる福井家で作られていて
当初は土人形を作っていたが 途中張子に転業し
犬張子 達磨 兵隊馬 馬乗り裃狐など繊細な張子細工として知られた
達磨は豆絞りの鉢巻を締めているので鉢巻達磨とも呼ばれる
東日本の他地方では 目無し達磨が一般的であるが
目玉が書き入れてあるのが特徴とされている
また鉢巻姿は 愛知以西の地方にも見られるので
関東系達磨との境界線を示す代表的なものとしても知られている
目無しの鉢巻達磨は 豊川稲荷の門前のみやげ物店で見つけたもので
名古屋張子の売れ残りといわれたのですが
何故か目が入っていない 入れ忘れたものか
関東の達磨を意識してあえて入れなかったのか 今では知る術もありません
詳しくは からくり玩具へ
名古屋市中区の東照宮例大祭に引き出されていた
七間町の山車人形 橋弁慶を模したもの
現在では七間町の山車は無く このからくり玩具がわずかに面影を残しているだけです
山車人形の動きを実に巧妙に模した物で、牛若の足下の竹弓を動かすと
弓弦が軸を回転させて、牛若が素早く旋回する仕組みになっている
弁慶の方は、はかまの下の紐を結わえた横木を左右交互に動かすと
糸管仕掛けで千変万化に長刀を振りまわす身振りをする仕掛けになっている
この弁慶の動きだけは 予測が出来ない素晴らしい仕掛けだと思います
からくり人形の頭は 名古屋土人形の野田製です
明治維新前後の創作といわれています
人形の下の横木を上下に動かして
うさぎに、杵をつかせる動作を見事に表現しています
正月などのお目出度い時にぴったりの衣装である
徳川末期の創作といわれ 手元の横木を動かすと 糸で連結されている鼠が
各自に廻る仕掛けになっている
ピンクと白の三匹の鼠の動きが なんとも愛らしい
30年ほど前に
東海郷土玩具友の会より 復刻品として分けていただいたものです
今となっては 何処の物だったのか 記憶が定かで判りません
名前は 『つばくらめ』『おくわさん』と聞いた記憶があります
名古屋地方か 尾張地方で かつてあった物だと思います
知多半島の常滑焼で有名な常滑市に隣接している半田市乙川で作られている
創始者を杉浦伊佐衛門と呼び 初め飛脚を生業とし京に行き来するうちに
伏見人形に目をつけて 俵牛と狆を持ち帰り模作したが
土人形製造に転じたのは文化文政(1804〜30)の頃と伝えられている
乙川土人形の型は 彫り深く型崩れが無いのが特色で
伏見の技法を最も正確に伝えているといわれるが 土俗味にはやや欠けるようだが
中部地方土人形の祖地といわれ
各地の土人形へ与えた影響は 間接的にも直接的にも計り知れないものがある
昭和34年の伊勢湾台風で 壊滅的な被害を受けたが
現在は 新たに型を起し 流し込みの製法で製作されています
かつてからの 手押し製のものも 注文により一部製作され
現在に至っています
参考文献
郷土玩具辞典 斎藤良輔編 東京堂出版
名古屋土人形 中島芳美著
東海の郷土玩具 亀井鑛著 中日出版社
日本の土鈴 森瀬雅介・斉藤岳南著 徳間書店
土人形 鈴木良典コレクション 豊橋市美術博物館
日本の土人形 俵有作編 文化出版局
日本の郷土人形 京都府立総合資料館
全国郷土玩具ガイド 畑野栄三著
天神さん人形 木村泰夫著 日貿出版社
なごや地方の郷土玩具 名古屋観光推進協議会
他