2005/9/1

名古屋土人形
   よもやま話 壱 


生ひ立ち

明治初年 廃藩で禄に離れた旧士族が 
熱田神宮の祭祀用土器の窯場であった昭和区御器所付近で 
伏見人形の製法に習って 作り出されたのが始まりといわれる
江戸時代から御器所村で土器を作られていたことが知られているが
土人形の始まりは 御器所七本松に住む伊藤友松によって
始められたというのが定説になっている

野田家は 旧藩の当時同心として仕えて来た先代の重成が
明治15〜16年頃伏見から帰ってきた知人から
伏見人形の製作技法を習い憶えて 
これに自己の考案を加えてこの家業に転じたのが始まりと言う

節句物・芝居物を主に発達し 
明治末期には名古屋雛人形と呼ばれ最盛期を迎えた
この当時は 野田家以外にも十数軒の製作者があったが
大正末期から次第に衰退して 転廃業が相次いだ
名古屋土人形のその種類は 
節句人形・笛玩具・豆人形・各種土鈴など多種多様で

更には名古屋市内・近在の社寺縁日などにちなむ
縁起物や参詣土産などの土製玩具を手広く製作した
松山神社の松かさ鈴 七尾亀乗り天神 などがある
野田末吉は亡き父重成の型をはじめ転廃業した他業者から
名古屋土人形の型を譲り受けて家業を続けた
戦前には「栄国寺の寝牛」の山田こう姉妹と二軒だけになり
戦後は野田家だけが最後の土人形製作者として
平成元年(1989年)9月12日 86歳で亡くなられるまで
名古屋土人形の伝統を守り続けられました

                                     斎藤良輔編 郷土玩具辞典より一部引用



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