2006/04/03

名古屋土人形
 よもやま話 六

職人たましひ

(心の叫び)


岐阜県郡上市白鳥町の『日本土鈴館』にお邪魔をしてきました



館長の遠山さんに とても丁寧で親切な対応をしていただき
感謝すると共に 恐縮しっぱなしの時間でした
以前からこの土鈴館に 
野田さんの土人形達が 沢山飾ってあるのを知っていたので


これ幸いに 野田さんのお話を伺う事が出来ました
館長さんと野田さんとのお付き合いは
他の趣味家の方々と比べても さほど  古くという訳では無いそうですが
特に親しくされて 野田さんの遺品の品々や
土人形の型なども預かられているそうです

そんな中で職人としての 野田さんの素顔を 垣間見られたシーンがあったそうです
何時ものように お邪魔した際に 
野田さんは小さな面子の彩色をされていました
すでに かなりの高齢で 体力の衰えも感じておられたとは思うのですが
ご自分の思うところの絵付けが中々出来なくて
突然 怒った様にその面子を投げられたそうです


職人として工人として 上手く絵付けの出来ない自分自身のふがいなさに 
歯がいさと悔しさをぶつけられたのでしょう
辛かったのでしょうね
年齢的なものは 人である以上避けて通れないものですが
ご自分のプライドが 許さなかったのかもしれません
仕事一筋の一徹さで これまで沢山の名古屋土人形や土鈴を産み育ててきました
温厚で且つ厳しさをも併せ持ったその人柄によって
名古屋土人形が出来ていたのだと痛感しました
私自身が伺っていた頃は
まだまだお元気で 優しいお顔の中にも 
何処か凛としたものを感じさせるお仕事ぶりでした
いま その思いに心を馳せると あらためてもっともっと伺って
お話を聞いておけば良かったという 後悔の念ばかりが沸き起こってきます
野田さんと 野田さんの奥様のお人柄も合わせて
名古屋土人形に対する想いをあらためて強くした一日でした



野田さんへの追悼文を載せた
平成2年の東海郷土玩具の会の会報を見せていただきました
追悼文を載せられたお一人お一人が
野田さんへの深い追悼の意をささげられています


沢山の方々から愛された野田さんのお人柄が偲ばれます
平成元年に亡くなられて ずいぶん経つのですが
今でも 亡くなられた様な気がしません
物言わぬ小さな人形達が 野田さんの生き様を伝え続けてくれています

野田さんの法要の時に 配られた色紙と版画


岐阜白鳥の日本土鈴館 館長 遠山一男氏に
 人形や資料等の教示を受けて お話を伺いました
ありがとうございました


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