2005/9/1
19ぐらいからYHを使ってあちこち旅をしました
その旅先で各地の郷土玩具と出会い
YHを使った旅のかたわら郷土玩具集めをはじめました
地元の愛知県に素朴な郷土玩具はないと思っていたのですが
本などを調べるうち 無いどころか郷土玩具の宝庫であるということがわかりました
郷土玩具の会などへも顔を出したのですが
交換会など見せびらかし的な物を感じ
(若かったしお金も無かったので生意気だったのかもしれません)
何度か顔を出しただけでやめてしまいました
そんな中 本で名古屋土人形の野田さんの住所を調べ 生意気にも飛び込みでお邪魔したのがはじめでした 土人形に関する知識もなく 仕事場に上げていただいても見るものが初めてのものばかりで きょろきょろしているだけでしたが |
初めて お訪ねしたおりに わけて頂いた 狆 |
なんに興味があるのって感じで 会話にならず恥かしい思いをしました
野田さんの人形達は愛らしさでは他の追随を許しません
21才から5年間程だけのお付き合いでしたが
その後 何度かお邪魔するうちに少しずつ分けていただいて今があります
喜 野田末吉 玩具庵其水 |
古希 八重子 |
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野田さんが寅、奥様が申の 「寅申の高砂」を わけて頂いたり |
花魁を作っていただいたりして 無理を言うようになりました |
三番叟土人形 |
みんな土鈴を欲しがるのだけど 土人形は人形なのだという妙なこだわりがあって |
三番叟土鈴 (あごくん所蔵) |
干支物にしても伺っていた間のものしかなかったり 今から思うと もっともっと伺っておけばよかったと後悔しきりです 沢山の種類がありすぎて行く度に目移りがしたものです |
野田さんには お願いしただけでとりにいけなかったものもあります
25の年に近江八幡の勧修寺(かじゅぅじ)YHにサブとして入り
勤めていた会社を辞め滋賀へ移りました
その後は収入も無いと同じでいわずもがな・・
滋賀にいるときに小幡人形とか近江達磨に出会えたのですが
野田さんとは其れきりになってしまいました
数年してから愛知に戻ってきたのですが
生活するのが精一杯で人形達もYHに飾ったままほったらかし
その間 野田さんが亡くなったことも知らず忙しいだけの毎日でした
いい加減な人間なので 申し訳ないことをしたという思いが今もしています
今更どれだけお詫びしてもせん無い事で
後悔してもしきれない気持で 慙愧の念に耐えません
短い期間しか うかがっていないのに
生意気にも野田さんの紹介のページを作り 恥かしいのですが
手元にあるわずかなものだけでも
見てもらって名古屋土人形のよさを伝えられたらと思いました
野田さんの事懐かしく思い返しています
名古屋土人形よもやま話
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