絵馬(馬の図柄の絵馬のみの掲示です)
村松山虚空蔵堂真弓馬 茨城県那珂郡 老杉巨樹の重畳として暗く繁る 真弓の山村で作られたからと伝えられる説と その頃 名馬を産した地名 久慈郡真弓村(現在の常陸太田市)の 名を付けたものとも云われています 手向山八幡の絵馬と同様で 生馬から馬形(木馬)をへて 絵馬への過程を見る事が出来ます |
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手向山八幡宮 奈良 祭神の応神天皇が寵愛した 「あつひさ」という黒馬に 八幡宮に伝わる 「唐鞍(からくら)」という馬飾りをしている姿を 簡略化し写したもので 生馬奉納から 平面的な絵馬奉納へ移行する 中間段階の絵馬の古い形式を 今に伝えています 板絵馬と土鈴 |
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小布施天満宮絵馬 長野 小布施天満宮で授与されたものです |
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朝日神社絵馬 どこの朝日神社で授与されたものか不明です 名古屋栄かもしれません どなたかご存知の方 御教示くださいませ |
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多度大社絵馬 三重県多度郡多度町 多度大社に伝わる揚げ馬神事にちなんで 授与される 氏子中より選ばれた少年騎手 六人が武者姿にて二メートル余りの絶壁を勇壮に駆け上がる 古式上げ馬神事が五月四日・五日両日とり行われます 多度祭には 古くから農作の時期や豊凶が占われてきました |
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洲崎神社 猿引きの馬絵馬 愛知県名古屋市栄 江戸中期の頃に奉納された絵馬に習い 宮司自ら手書きで描かれた申曳きの馬絵馬は 白馬(神が宿る)を猿(すなわち猿田彦ノ尊) が導いている姿をあらわしたものです |
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長滝白山神社 絵馬 岐阜県郡上市 古来は白山中宮長滝寺といい 明治の神仏分離で 長滝白山神社と白山長滝寺に分かれました 全国的に 1月5日の「六日祭」(花奪い祭り)と 5月5日の「でででん祭」が有名で、 国の重要文化財に指定される 「正和のつぼ」をはじめとする 多くの文化遺産がのこされています |
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橿原神宮 絵馬(焼印) 御祭神・神武天皇が 畝傍山の東南・橿原の地に宮を建てられ 即位の礼が行われた宮址に、明治23年に創建されました 第一代の天皇であり我が国建国の始祖となった神武天皇と、 (ひめたたらいすずひめ)皇后が祀られています |
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大須観音馬の塔 絵馬 愛知県名古屋市中区 大須大須観音で行われる祭事で 永禄3年(1560)桶狭間の合戦での 織田信長の戦勝を祝して 清洲城下に馬を飾って 馳せ参じたことが由来といわれています 現在は張り子の馬を神輿に仕立てて 大須町内を子供達とともに練り歩きます 真言宗智山派別格本山 本尊は聖観音 寺号は「北野山真福寺宝生院(ほうしょういん)」 一般には大須観音の名で知られていて 日本三大観音の1つといわれています 寺内に、『古事記』の最古写本をはじめとする 貴重書を多数蔵する「真福寺文庫」があります |
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談山神社 絵馬 大化改新の中心人物の藤原鎌足を祀る神社で 舒明、皇極二代の天皇の世に、 国の政治を欲しいままにしていた蘇我蝦夷、入鹿の親子を討伐し、 政治を改革しようとした中大兄皇子(後の天智天皇)と 中臣鎌足(後の藤原鎌足)が 西暦645年の5月 藤の咲き乱れる多武峰に登って 「大化の改新」の談合を行ったことから、 後にこの山を談い山、談所ヶ森と呼び 神社の社号の起こりとなりました。 |
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伏見稲荷大社絵馬 伏見稲荷大社は,和銅四年(711)創建といわれており 「山城国風土記」によれば秦伊侶具が裕福のあまり 餅を的に矢を射たところ餅は白鳥になって飛び去り とまった山の峰に稲が生え 神として奉られ イネナリ(伊祢奈利)生いきから イナリの社名になったといわれる 五穀豊穣・商売繁盛の神で 全国に約4万ともいわれる稲荷社の総本社です 土人形の源でもある伏見人形の飾り馬を絵馬にしたものです |
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高山松倉山絵馬(岐阜) 絵馬を和紙に描くようになったのは、 江戸時代末期ごろからと考えられ 明治時代 高山市内で 数軒の版元が絵馬を売り 人々は それらの絵馬を買い求め、 牛馬を連れて松倉観音(本尊は、「馬頭観世音菩薩」)に参拝し 朱印をもらって来たそうです 厩(うまや)などに貼って、 牛馬の安全や稼ぎを祈願したものです 牛馬は外で働くものなので、 農家では外に向けて貼っていたといわれていますが 一般の商家や民家では 家の内側に向かって 馬が駆け込むように紙絵馬を貼り 家内安全や商売繁盛などを祈願する 縁起物とされています |
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郡上絵馬(岐阜) 岐阜県郡上市白鳥土鈴館にて 館長さんより記念にいただきました 色紙に 今にも走り出そうかとしている黒馬を描いたもので 交通安全の文字も見えます 走り出す前によく周りを見てということかな(笑) |
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左馬 (おまけ) 左馬の由来:@左馬は「馬」の字が逆さに書いてあります。 「うま」を逆から読むと「まう」と読めます。 「まう」という音は、昔からめでたい席で踊られる「舞い」を思い起こさせるため、 「左馬」は福を招く縁起のよい駒とされています。 A「馬」の字の下の部分が財布のきんちゃくの形に似ています。 きんちゃくは口がよく締まって入れたお金が逃げていかないため、 古来から富のシンボルとされています。 B馬は人がひいていくものですが、 その馬が逆になっているため、 普通とは逆に馬が人をひいてくる(=招き入れる)ということから商売繁盛に繋がるとされています。 C芸者さんの三味線の胴の裏に左馬が書いてある場合は、 馬は倒れる時に、右に倒れ左には倒れないところから、 左馬を書いた三味線を持つ芸者さんも「寝やすい方には寝ない」、 つまり「芸は売っても身は売らぬ」という心意気が「粋」だということで、 転じて「縁起がいい」とされるようになったそうです |
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